悩まなくなった時が、ブロガーはいちばん危ない。

先日、私が運営している「風花塾」の卒業生さんとスカイプで話しました。

ブログのことなどをいろいろと話したのですが、その中で「ブロガーの悩み」という言葉が印象に残っています。

ブログを更新していると、常に新しい悩みが噴き出してきます。

ただし、それは前向きに走っているブロガーだけです。

向上心を失い、パターン化したまま惰性で更新していれば、悩むはずもありません。

この悩まない状態がブロガーにとってラクであり、幸せかというと決してそうではないのですね。

そういう成長がとまったブログは、読者から次第に無視されはじめるから。

一方、悩みつつ、その悩みの解決のために、心の汗を流し続けているブロガーは、より自分の光を強化してゆくのですね。

当然、読者との信頼関係は強まり、ブログの価値は高まってゆきます。

ですから、「悩むことは良いこと」であり、「悩まなくなった時が危険である」と言えるのです。

一流のブロガー、みんな悩んで大きくなった、そのことに間違いありません。

常に成長するブロガーを育てる塾が風花塾です。

抱え込んだ多数の悩みは一つひとつ解決してゆく。

最近、頭が重く、集中力が極端に落ちていました。

ちょっとしたことでイライラしたり、怒りっぽくなったり、時には、ひどく落ち込んだりしてしまう。

これは、マズイなあと思いながら、お酒でまぎらそうとしていたのです。

昨日は、仕方がないので、接骨院に行って、腰痛を改善してもらことにしました。

どうして、具合が悪くなったのかは、はっきりしています。

悩みが重なってきたのです。

第三者からみると、取るに足りないことでも、本人にしてみると、非常につらいこともありますよね。例えば、歯に食べ物がはさがっているだけで、気に病むことがあるように。

以下、恥ずかしいのですが、最近の自分の悩みを書き出してみることにします。

1)去年の暮れに高円寺に引っ越したのだが、なかなかこの街になじめないことろがある。

2)新教材の発表など、仕事に追いまくれてきたけれど、おもったほど経済的な環境は改善されていない。

3)ドアストッパーが壊れたので、マンションの大家に修理を頼んであったのが、対応してくれなかった。

4)教材の販売ページの修正を依頼したデザイナーが、就職してしまったために、迅速に動いてくれなかった。

5)プロバイダーから、意味不明な請求が続いていて、問い合わせたが、電話が混んでいて、なかなか対応してもらえなかった。

6)骨盤が歪んでしまい、歩く時に、かなりの違和感がある。腰痛も少しある。

7)飲酒の量が増えていて、そのせいか、背中に張りがあり、時々、背中に差し込むような痛みがある。

8)タブレットをほとんど使わないので解約手続きに出向いたが、解約時の費用が高さに驚いて、解約を断念した。

9)塾の準備を進めたいのだが、いろんな悩みを抱えていて、なかなか前に進まない。

10)古い知人からイベントに参加するように促されたが、時間がとりづらくて、負担になっていた。

11)facebookページがハッキングされて、広告アカウントが閉鎖されてしまった。

悩みがこれだけ多いと、もう、いっぺんには解決できないので、一つずつ順番に消去していゆくしかありません。

おかげさまで、今は改善されつつあるので、気持ちもラクになってきました。

小さなことでも、たくさんの悩みを抱え続けると、壊れてしまうことがあるので、気を付けたいものです。今回は、早めに気づいたので、良かったと思っています。

とにかく、悩みを少なくするためには、暮らしをできるかぎり、シンプルにすることが肝要ですね。そして、多くのことを抱えすぎないこと。

それと、私の職業は「原稿書き」なので「心は書くことで整える」ことを徹底するべきだと気づきました。お酒で、心は軽くならないし、乱れるばかりでした。

これからも、余計なものは削除し、シンプルライフを貫いてゆこうと、決意しました。

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?…… 西条八十「ぼくの帽子」より

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」というフレーズに聞き覚えのある人は多いのではないでしょうか。

 

映画「人間の証明」(1977年)のキャッチフレーズになったことで有名です。

 

この映画の原作である森村誠一の小説「人間の証明」も、読みましたが、映画も小説も決して傑作ではなく、後世に語り継がれるほどの作品かというと、首をかしげざるを得ません。

 

戦後日本で最も売れた小説は、出版社の出している数字はほとんどあてになりませんが、映画化されたエンタメ小説では、森村誠一の「人間の証明」か、鈴木光司の「リング」だとも言われているとか。

 

たいへん話題になった、売れに売れた、そういうことが話のネタになるだけのこと。

 

と言いつつも、私はこういう映画は嫌いではありません。B級エンタメくささが、いい味になってたりしますから。

 

映画の作品としての評価はともかく、結果として、キャッチフレーズに使われた「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」という詩だけが、流行が去った後にも残った。

 

【動画】西條八十「僕の帽子」の朗読

 

テレビCMでもさかんに流された「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね? 」は、西條八十(さいじょう やそ)の「ぼくの帽子」という詩の一部なのですが、その詩の質の高さ(本質的な魅力)ゆえに、多くの人たちに今もなお愛され続けているかに見えます。

 

それでは、西條八十の「ぼくの帽子」(のちに「帽子」と改題)の全文を引用してみましょう。 この記事の続きを読む