なでしこジャパンの優勝は「奇跡」ではなく「運命」

女子サッカーW杯ドイツ大会(FIFA Women's World Cup 2011)は17日フランクフルト(Frankfurt)で決勝が行われ、日本(なでしこジャパン)は米国に先制され、終始苦戦。しかし、2度の劣勢を驚異的な粘りで跳ね返し、2-2の末に迎えたPK戦で米国を3-1で下して初優勝。澤穂希(Homare Sawa)は、大会の得点王とMVPに輝きました。

生放送で観戦した人は、寝不足だと思います。私も生放送で最後まで見たのですが、それほど疲れは感じていません。サッカー日本代表の試合で、ここまで大きな歓喜に浸れたのは、1998年フランスW杯への出場を、日本男子が決めた時以来ではないでしょうか。岡野のあの決勝ゴールは忘れられません。

では、決勝戦「なでしこジャパンvsアメリカ」を少し振り返ってみます。

アメリカは立ち上がりは積極的に攻めてきました。日本は劣勢に立たされます。この悪いリズムを早い時間帯に変えてほしいと思ったのですが、このリズムは試合最後まで続いたのでした。

アメリカはこれまでの試合とは打って変わって、勝ちに来ました。中盤をコンパクトにしてプレスをかけ、日本のサイド攻撃も警戒してスペースを与えません。攻撃面では、縦一本の鋭いパスからの突破、スピードを活かしたサイドアタックなど、日本がもっとも嫌がる戦術を採用。さすがは、世界ランキング1位のアメリカは、抜け目がない。

相手が嫌がる方法で攻撃し、相手の強みを徹底的に消しに来たアメリカですが、これができるのは実力以外の何ものでもなく、本当に怖かった。

ゴール近くなどの大事な場面で、アメリカ選手との一対一の競り合いで勝てない日本が、押し込まれたのは、当然だとも言えます。ボールポゼッションは日本の方が上回っていたようですが、ゴールチャンスはアメリカの方は圧倒的に多かったのでした。

なでしこジャパンは、ドイツ戦で見せた「負けてもともと」の開き直ったような激しさがありませんでした。中盤からずるずると引いてゆくことが多く、日本が得意とする、中盤の素早いチェックは影をひそめました。

立ち上がりから、ドイツ戦なみの激しいプレスを見せれば、全体の流れも変わっていたかも。ボール支配率とは関係なく、アメリカに試合全体を支配されることはなかった気がするのですが、それができなかったのは、米国との力の差なのか、それとも日本選手たちの疲労のせいなのでしょうか。

今回のW杯が開催される前は、アメリカ、ドイツ、ブラジルの3強の力が群を抜いていると言われていました。結果は優勝だったなでしこジャパンですが、実力世界一というわけではなく、世界トップとは、まだ力の差はハッキリとみて取れます。

しかし、なでしこジャパンの優勝は、「奇跡」でも「神がかり」でもありません。「運も実力のうち」という言葉どおり、女子サッカー日本代表の優勝は、「必然」だったのだと思います。というか、なでしこジャパンの優勝は、ひとつの「運命」だっと、言い切りたいのです。

ドイツ戦の挑戦者としての激しい闘争心、、スウェーデン戦でのFCバルセロナを想わせる華麗なパスサッカー、アメリカ戦での驚異的な粘りを見るかぎり、なでしこジャパンの力は「本物」以外の何ものでもありません。

勝利の女神を引き寄せる、はかり知れないパワーが、なでしこジャパンにあったことは確かです。

ただ、なでしこのサッカーは、決して完成されたサッカーではありません。

なでしこジャパンの本当の魅力は、その「未完成であること」にあります。

なでしこジャパンのショートパスサッカーを語る時、あのメッシのいる世界一のクラブチーム「FCバルセロナ」の名前が出てきます。それは「バルサのように華麗である」という意味ではなく、「このまま成長すると、ひょっとするとバルセロナみたいな華麗でスぺクタルなポゼッションサッカーが見られるようになるかもしれない。それは女子サッカーでは驚くべきことで、なでしこジャパンにそうししたファンの夢をかなえてもらいたい」という希望の気持ちが込められているのではないでしょうか。

つまり、なでしこジャパンのサッカーは「未来型のサッカー」だと言えます。だから、ワクワクしてしまう。

私たち日本人が今もっとも求めているのは「明るい未来」。なでしこジャパンのサッカーを見ていると、元気になれます。元気になれるのは、強いからというより、明るくて、夢を感じさせるくれるからだと思います。

今回のワールドカップで優勝してくれましたが、私としては優勝でなくても良かったのです。「明るく、物おじしない、小気味の良いサッカー」を見せてくれるだけで、どれだけ勇気づけられたことか。

また休む間もなく、五輪予選が始まります。当分の間、なでしこジャパンからは目が離せそうもありませんね。

水を飲むように音楽を聴く日々

2011年5月2日に退院してから、音楽の嗜好が変わってしまったことは、以前に書きました。最近、K-POPを聴くことが多いのですが、もちろん、いま流行しているから飛びついたのではありません。たまたま聴いた曲が、良かったので、それからずっと聴き続けているのです。

もともと、音楽はJ-POPを中心に聴いていたんですが、最近、どうしても聴きたいという歌手がいなくなってしまいました。アルバムを1~2枚買ってみるのですが、すぐに物足りなさを覚えて、聴くのをやめてしまいます。

理由はわかりません。あれほど見た日本のドラマも、まったく見たくなくなってしまいました。音楽やドラマだけでなく日本人が生み出すコンテンツそのものに関心がなくなりつつあります。

音楽を聴くのに、小難しいウンチクとかは必要ないと思っています。今は、ただ水を飲むように日々、音楽を楽しんでいます。それだけ、心が渇くことが多いのかもしれません。

深くて、純粋な歌唱は、自分でも気づいていない深層心理にまで働きかけてくるので、ちょっと怖い気もしています。突然、ダムに亀裂が生じ、そこから、止めどもなく大量の水が流れ出てくる……そんなふうに、自分の感情があふれ出すことって、久しぶりに経験したのです。

突然のダム決壊は、たった一曲の音楽がキッカケだったのでした。

音楽の力って、すごいものだと思います。

私は、国籍だとか、ジャンルを意識して楽曲を聴いたことはありません。そういう区別ができないくらい、私は今「良い音楽」に飢えています。

ダムが完全に破壊されてしまうのは困りますが、私の心という水瓶に、どれくらい水がたまっているか、それを感じさせてくる音楽ならば、どの国のどんなアーティストでも、大歓迎なのです。

いろいろと商業的な戦略とかあろうかと思います。芸能界とかプロダクションとか、複雑な人間模様もあるでしょう。しかし、私としては、歌手の私生活にはまり興味がなく、歌手の作品である歌唱が純粋であってくれれば、他に求めるものなど何もありません。

流行とか、若さとか、勢いとか、そうしたものは、いずれ消え去ります。でも、良い音楽は時を超えて生き続けます。名曲・名盤に私がこだわるのは、いつでも、再生すれば、この上もない心の栄養物を与えてくれるからです。

知識とか先入観なしに感動できるのが、音楽が持つ本来の素晴らしさ。その素晴らしさに敬意を払い、思い切り素直な気持ちで、楽しみたいと思う今日この頃です。

水を飲むように音楽を聴く時間を、大切にしたいと思っています。

少女時代のテヨンはドラマOSTの女王?

  • 音楽

日本でも大人気の韓国ガールズグープ「少女時代」。どうしても、ダンスに目がいきがちですが、歌唱力でファンの気持ちをつかむタレントも在籍。それがキム・テヨンKim TaeYeon)で、数々のOSTでその歌唱能力を発揮し、ファンの幅を広げているらしい。

と書きつつも、ちょっと躊躇する気持ちがあるのですね。
というのは、当ブログでは、韓国の女性ソロシンガーを取り上げてゆきますが、「キッチリ歌を聴かせる歌手」即ち「歌唱力のある実力派」を中心にするつもりです。

で、ほとんどアイドルというか、いえ、アイドルそのものの「少女時代」テヨンを紹介して良いものだろうか(笑)。

まあ、歌は聴いた人が良ければそれで充分なわけですが、アイドルグープ「少女時代」のメンバーであるので、テヨンの歌唱力は本物なの?という疑念を抱いている人もいるのではないでしょうか?

韓国音楽サイト・モンキー3が行ったアンケート「ドラマOSTの女王は」という質問で、テヨンが1位に選ばれています。総数740人中52%の385人がテヨンを推したとか。

ベートーベン・ウイルス』は、現在もBSで再放送されているので、テヨンが歌う「聞こえますか」は番組内で聞けます。
ここぞというところに流れてくるので、OSTのメイントラックと呼んでいいのではないでしょうか。

確かに、「聞こえますか」は良いですね。

ただ、疑うわけではないのですが、「聞こえますか」は歌そのものが良いので、誰が歌っても「うまく聞こえてしまう」とも考えられるのですね。

実際に、女子フィギュアスケートのキム・ヨナも「聞こえますか」を歌っているんですが、かなり「うまい」です。
その動画は以下でご覧ください。

やはり、テヨンは、アイドルの中では確かに歌はうまいけれども、頭に「アイドルの中では」という但し書きが必要なのではと思いかけたのですが……

しかし、『快刀 ホンギルトン』のOST「もしも」を聴いて、これはもう、本物だと確信しました。

「快刀 ホンギルトン オリジナル・サウンドトラック [ (オリジナル・サウンドトラック) ]」に収録されています。

こちらはライブですけれど、まったく音程をはずしません。

本物という意味は、バラード以外の幅広いジャンルに対応するとか、名曲を巧みにカバーできるとかいうことではなく、正直、テヨンの場合は、それについては未知数です。

でも、「聞こえますか」「もしも」そして、『アテナ 戦争の女神』の「愛してます」を聴くかぎり、ツボにはまった時は、特に高音部の透明感と、やや抑え気味の感情注入術は、他の実力派歌手に負けない魅力があります。その意味で確かな存在価値があり、「本物」だと言いたいのです。

テヨンの魅力は、歌唱力というよりも、感性ですね。その歌声は、肉声というよりも、風の音、風に震える木の葉の音を想わせます。感性がピュアなので、自然が生み出す自然の音に、歌声がなりきってしまっているという感じ。

音は震動、つまり、震えです。テヨンの声は感性の震えなのです。

ちょっと誉めすぎでは…という人が出てきそうです。正直、私のテヨン評には、私の創作が入っているかもしれません。でも、音楽を聴く側は、その時の心境で、歌声に触発されて、自由に物語の中に遊べる特権を持っています。

テヨンの歌唱は、純粋な物語空間に聴取者を一瞬にして誘い入れる力を持っており、それは素晴らしいことだと素直に認めたい気分なのです。

これからも、「少女時代」のテヨンが、ドラマOSTに参加したと聞けば、必ずチェックすると思うし、それくらい、人を引き付ける「何か」をテヨンは持っていますね。ファンが増えるのは当然です。

韓国の芸能界は厳しいという説もあるので、ピュアな感性をずっと保ち続けてほしいものです。

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