友人と久しぶりに電話で話し込んでしまいました。退院して初めてです。

その友人は、アメリカ生活が長く、韓国人の友達が多いのです。彼はジャズが一番好きらしいのですが、韓国音楽を非常に高く評価していました。

K-POPというと、国をあげて商業主義に走り、売らんかなの戦術を日本で駆使していると見ている人もいます。

確かにそういう面はありますが、実は韓国はもっと、したたかなのです。

というのは、音楽に関するエンターテインメントコンテンツというものを、韓国はすべて商業主義一辺倒にしているかというと、そうではないんです。

「少女時代」など、売れる歌手を前面に出していますが、その一方で、歌唱力のあるシンガーを尊ぶ傾向が強い。

たいへん歌が好きな国民で、歌は魂を揺さぶるものであるべきだ、という価値観が、韓国には強く息づいている気がします。この傾向はアメリカでも、強いらしい。

それは私が韓国に住んでいて、韓国のことに詳しいから知っているということではなく、韓国の歌手の歌を聴いていて痛感するのです。

要するに、派手なパフォーマンスで大量の利益を呼び込む一方で、最も「おいしい部分」、即ち「本物の歌」は非常に大切にし、愛してゆこうという考えが、韓国には根付いているように思われます。

日本が大好きな私ですが、今の日本の音楽業界では、哀しいかな、商業主義が優先されすぎて、「魂の歌」は軽視されている気がするのです。
聴く側の私たち日本人は、本当はそういう「深くて純粋なもの」を求めているのに、求めていることすら忘れさせられているのではないでしょうか。

アメリカと韓国に詳しい友人も、同じ意見でした。
結局は、ソウルフルな音楽は、国籍は関係なく感動できるという結論に達しました。

なでしこジャパンが、日本人を感動させたのは、W杯で優勝したからでもなく、FCバルセロナ風パスサッカーを見せつけたからでもありません。なでしこジャパンは、私たち日本人に「魂の歌」を聴かせてくれたのです。それは日本人の歌であり、また人間の魂の歌であったから、世界中を感動させたのでしょう。

私はこの「風花未来.com」では、言葉の持つ「深くて純粋な世界」について、なでしこジャパン、良質なK-POPなどを、あえて同じ土俵で、大胆に語ってゆくつもりです。
なぜなら、すべて、私に「魂の歌」を聴かせてくれるからです。

深くて純粋な表現は、分野を越え、国境を越え、民族を越えます。同じ人間だという共通項さえあれば、感動を共有できるからです。

魂の遺伝子は、人間すべてに共通するものだから。

ジャンルや表現形式を問わず、「深くて純粋な魂の歌」を、このブログでは紹介してゆけたらと思っています。