今回ご紹介するのは、高村光太郎の「千鳥と遊ぶ智恵子」という詩です。「千鳥と遊ぶ智恵子」は、詩集『智恵子抄』に収められています。
さっそく、引用してみましょう。
千鳥と遊ぶ智恵子
人つ子ひとり居ない九十九里の砂浜の
砂にすわつて智恵子は遊ぶ。
無数の友だちが智恵子の名をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
砂に小さな趾(あし)あとをつけて
千鳥が智恵子に寄つて来る。
口の中でいつでも何か言つてる智恵子が
両手をあげてよびかへす。
ちい、ちい、ちい――
両手の貝を千鳥がねだる。
智恵子はそれをぱらぱら投げる。
群れ立つ千鳥が智恵子をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
人間商売さらりとやめて、
もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える。
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち尽す。
高村光太郎も、智恵子抄も知らない人が増えている?
数年前のことですが、二十代の人たち(4~5人)と話す機会があり、高村光太郎の名前を出したところ、一人も知りませんでした。
その時は、かなりショックでした。
高村光太郎を知らないということは、当然「智恵子抄」の存在も知らないでしょう。
おそらくは、学校では習っているはずですが、忘れてしまったのだと思います。
親が高村光太郎のこと、「智恵子抄」のことくらいは、子供に伝えてもらいたい。
良いものは良いものとして、後世に語り継いでゆくことは、極めて大事です。
文学が軽視され、ほとんどの人たちは文学を顧みません。文学的な教養がないと、思考力も育たないし、人間や事象を判断する、価値観も持つことができません。
で、智恵子抄の話に戻ります(苦笑)。
智恵子抄とは
「智恵子抄」(ちえこしょう)は、詩人の高村光太郎が1941年に龍星閣から出版した詩集。
智恵子とは高村光太郎の妻の高村智恵子のこと。『智恵子抄』には、彼女と結婚する以前(1911年)から彼女の死後(1941年)の30年間にわたって書かれた、彼女に関する詩29篇、短歌6首、3篇の散文が収録されています。