まど・みちおの「とんぼの はねは」という詩をご紹介します。
「個性」とか「自分らしさ」とかいう言葉は、一見魅力的ですが、多くの誤解でごちゃごちゃになっている気がしてなりません。
個性とは、自己主張すること、自分の我を押し出すことだと思っている人が多いのですが、それは、間違いだと、最近になって、痛感しているのですね。
個性は無理して出せるものではなく、自然ににじみ出るものである。
個性的な表現が成功する時、必ず、作者は「無心」である。
だから、個性的であろうとして、焦ったり、力んだりすれば、表現は、独善的(独りよがり)になるばかりで、平凡になり、色あせてしまうものなのですね。
そのことを決定的に教えてくれた詩がありますので、ご紹介しましょう。
まど・みちおの「とんぼの はねは」という詩です。
とんぼのはねは
とんぼの はねは
みずの いろ
みずから
うまれたからかしら
とんぼの はねは
そらの いろ
そらまで
とびたいからかしら
いかがでしょうか?
非常にキレイな詩ですよね。
しかし、よく読み込むと、決してキレイなだけではないということに気づきます。
そもそも「はね」は透明であり、色は無色です。
もちろん、厳密に言えば、トンボの羽にも、色素はあり、何らかの色がついているでしょう。
ただ、私が申し上げたいのは、透明な羽は、見る角度によって、見る時間によって、色は異なるということ。
羽は角度を変え、時を移せば、空の色も映すし、水の色にも染まるし、時には、風の色にも反応し、虹色に姿変えるかもしれません。
このトンボの羽に似た存在が、私は「個性」だと思うのです。
「自分らしさ」だと思うのです。
個性は自分が決めるものではない。ある存在に反応した人の心の波紋が、その存在の個性だと思うのですが、いかがでしょうか?
無に近い、ほとんど透明な状態でないと、人は、その本来の姿を見つけられないのかもしれませんね。
本当に綺麗(o^―^o)ニコ
小さなときにみた秋の夕暮れを思い出しました。
そして、あの頃に返りたくて戸惑う自分がいたり
未来の子供たちに、忘れてはだめ無くしてはだめ
自然環境を守る、命をもまるために今のワタシが
何ができるか???今日も自軸と会話する