内田けんじ監督の映画「アフタースクール」を数年ぶりに見直してみました。前回見た時には、面白く見られたけれども、ピンとくるものが弱く、それほど記憶に残らなかったのです。

 

しかし、今回の鑑賞で、ガツンと来ました。

 

内田けんじ監督の映画は、先を読ませないプロットづくり、ほど良い温湿度のあるユーモアに特徴があります。

 

それは以前このブログで取り上げたことがある「運命じゃない人」「鍵泥棒のメソッド」にも、そのまま当てはまりるのですが、この「アフタースクール」では、さらに3つの要素が楽しめました。

 

1)役者愛に、目覚める。

 

大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人、常盤貴子、田畑智子など、芸達者な役者たちの演技が見ものです。

 

この映画の最大の美点は精緻な構成(プロット)にあります。したがって、役者が役者としての圧倒的な存在感を示すという類いの映画ではありません。

 

つまり、役者は脚本を具現化(映像化)にするための部品である、という要素が強い映画なのです。

 

しかし、そのことが逆に、自分に与えられたピースをどこまで完璧に演じられるかということを、役者たちに究極まで純粋に追求させているとも言えます。

 

ですから、この「アフタースクール」を見ると、役者たちが愛おしく感じられてくるのです。役者愛に目覚められる映画、それが「アフタースクール」だと主張したくなりました。

 

2)「人って、可愛いね」を、実感。

 

内田けんじ監督の映画は、極めてゲーム性が高いのです。でも、ゲームのためのゲームではありません。

 

必ず、隠し味的というか、かなり控えめではありますが、「人間は愛しきもの」、「人って、可愛いね」というヒューマニズムが脈打っています。

 

その意味で、寒い映画ではなく、温まる映画にほかなりません。

 

3)ハッピーエンドにも、満足。

 

ハッピーエンドの映画は少ないし、ハッピーエンドで満足できる映画はさらに少ないと感じているのは私だけでしょうか。

 

この「アフタースクール」は、珍しいタイプのハッピーエンドとなっています。複雑すぎるプロットとは対照的に、呆気ないほどにまとまってしまうハッピーエンド。この意外性も、プロットとして効いていますね。