今回の記事タイトルは「和らぎのある暮らしをかなえるために、まろやかな言葉を使いましょう」としましたが、「まろやかに暮らすために、なごやかな言葉を使いましょう」と言い換えてもかまいません。

 

私独自の考え方ですが、「生き方」は以下の3つのスタイルに大別できると思っています。

 

1)点に生きる。

 

2)線に生きる。

 

3)円に生きる。

 

では、それぞれについてご説明いたしますね。

 

刹那主義という言葉を最近は聞かなくなりました。以前は非常によく使われた言葉です。

 

刹那主義とは、人生の目的、信念、哲学などいうことは考えずに、一瞬いっしゅん、快楽を追求して生きる姿勢のこと。

 

刹那主義を、点に生きる姿勢、とも言えるでしょう。

 

もちろん、多くの人は、刹那主義では不安なので、人生において目標を定め、自分が進む方向を決めようとします。

 

単なる快楽ではなく、生きる意味を見出そうとして、ある方向に進んでゆくことを、線に生きる姿勢、と呼ぶことにしましょう。

 

で実は、3つ目の生き方を、私は信奉したいのです。

 

それが、円に生きる姿勢。

 

直線的に生きることは、それはそれで意味があります。しかし、真っ直ぐに進む、その先には「死」しかないのです。

 

自身がかかげた目標を達成してゆく生き方は、充実感があるとともに、虚無感、即ち「空しさ」がともないます。

 

この空しさから逃れるには、人生の中心に「まるみ(丸み、円み)」というキーワードをすえる必要がある、と私は最近になって信じるようになりました。

 

「まるい」ことを、日常では「丸い」と書くことが多いと思います。「円い」と書く人は少ないでしょう。

 

でも、「円」という言葉は良いですね。円か(まどか)円らか(つぶらか)円やか(まろやか)円ら(つぶら)円か(まどか)など、まるい様子を表す言葉は、貴いと感じるのは私だけでしょうか。

 

「輪廻転生(りんねてんせい)」という言葉があります。

 

要するに、人生には始まりと終わりがあるのではなく、巡り巡って、繰り返すという考え方です。

 

時は過ぎ去るのではなく、巡るものである」とウィリアム・ディターレ監督は映画「ジェニーの肖像」のオープニングで語っています。

 

矢が一直線に飛んでいるのではなく、輪がゆっくりと回っている映像を想いうかべてみればわかりやすいでしょう。

 

時は過ぎ去り消えてゆくのではなく、円を描くように巡っているとイメージしてください。

 

時は巡るものである」ことを理解するためには、水の循環も参考になります。

 

海の水は蒸発して雲となり、雲は雨を降らせ、雨は森に蓄えられ、やがて小さな流れをつくり川となり、海に注いでゆき、海の水はまた蒸発して雲とんり、雲はまた……。

 

このように、同じことを、円を描くかのように繰り返してゆく、生命エネルギーの流れのことを、私は「円環の法則」と呼んでいます。

 

私はこの「円環の法則」をイメージすることで、死が怖くなくなり、日常の不安が薄らぎました。

 

巡り巡って、回り回って、円を描きつつ、命をまるくつないでゆく……それが、人生であり、歴史であると考えると、気持ちが楽になるのではないでしょうか。

 

「わ」は「輪」とも「環」とも書きます。さらには「和」とも書きます。

 

ですから、「まるくあること」即ち「まるみ」を大切にすれば、「やわらぎ」のある安らかな暮らしが送れるということ。

 

おさらいしますね。生き方には、以下の3つがあります。

 

1)点に生きる。

 

2)線に生きる。

 

3)円に生きる。

 

私が推奨したいのは「円に生きる」ことです。

 

日常語で言えば「まろやかに暮らす」となります。

 

とにかく、人生、まぁ~るく、行きたい。まろやかに、なごやかに、暮らしたい。

 

人間関係も、心も、角が立たない、決して尖らない、丸みのある生活がしたい、と切に願う今日のこの頃であります。

 

私が提唱しているのは「お金に振り回されず、ゆるやかな時の流れの中で、和らぎが感じられる社会」です。

 

そうした社会をかなえるためには、まずは言葉から、以下の言葉を日ごろから使うことで、次第に変わってゆくはずだと思うのですが、いかがでしょうか。

 

なごやか、まろやかな、ゆるやか、ほのぼのとした、のほほんとした、おっとりとした、まったりした、静かな、穏やかな、安らかな、ほんわかした、あたたかな、ほっこりする、ぬくもる

 

「円に生きる」ことを象徴する美しい日本語はこちらに

 

⇒和を重んじて生きることを象徴する日本語は「和顔愛語」