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苅田アサノの詩「阿修羅」

苅田アサノ(かんだあさの)の「阿修羅」というをご紹介します。

 

阿修羅

 

ここに阿修羅は立っている

三つの顔と

六本の細い手をもって

可憐な少年の姿をした阿修羅はここに立っている

 

せい一ぱいみはって

一てんをみつめている

この眼が涙をふりおとさないということがあろうか

しんけんな必死な願いが

ひきよせた眉根の

かすかな隆起をつくっている

 

うぶげもみえそうな子供らしいくちびるが

歔欷(きょき)をおさえて

かみしめられている

こんなあどけない顔に刻みこまれているために

このかなしみは更にいたましくさらに切ない

 

うでのわのはまった蜘蛛のように細長い手

その手は胴のあたりで

折れんばかりにうち合わされている

その手はたえかねた叫びのように

のろのろと天へさしのばされている

 

どんな無法なあつい願いが

どんな無法な切ないなやみが

この半分裸の下袴(したばかま)だけのかぼそい少年らしい体を

おしたおそうとしているのか

 

三つの顔と

六本の手と

求めなやみあこがれもだえる

人間の永遠に幼いすがたをもって

阿修羅はここに立っている

 

※歔欷(きょき)は「すすり泣くこと。むせび泣き」の意。

 

この詩を高村光太郎が書いたと言われたら信じてしまったかもしれない。なぜなら、高村光太郎には彫刻作品を詩にした詩が、詩の中に彫刻作品が登場する詩が存在するから。

 

しかし、なぜか、この「阿修羅」には、「光太郎節」とも呼ぶべき独特の造語、創作言葉が出てこない……。

 

苅田アサノ(かんだあさの)という詩人を、長いこと知らなかった。

 

「阿修羅」という作品を読むかぎり、相当な書き手である。その筆致は力強く、感傷的な表現はほとんどない。

 

苅田アサノは女性だが、いわゆる女性っぽさが感じられないのだ。

 

この詩「阿修羅」の作者は、いかなる来歴の持ち主なのか?

 

ネットで苅田アサノのプロフィールを拾ってみる。

 

苅田アサノ(かんだ あさの)。本名は堀江アサノ(ほりえアサノ)。1905年6月21日に生まれ、1973年8月5日に死去。日本の政治家、婦人運動家、著述家。元衆議院議員(日本共産党公認、1期)。夫は元日ソ協会副会長の堀江邑一。

 

詩人という肩書はなかった。ネットで苅田アサノの詩を読むことはできない。苅田アサノの詩作品を掲載した書籍は絶版になっており、入手は困難である。

 

繰り返すが、苅田アサノの筆力は半端ない。2021年現在の日本に、これだけの書き手を見つけるのは難しいだろう。

 

注目したいのは、苅田アサノが政治家であったことだ。私は現在、政治系の動画サイトを運営しており、政治と詩の連動性を語ることに苦慮している。

 

海外には政治家で詩人という人物は存在する。だが、日本では浮かばない。

 

苅田アサノは、この「阿修羅」をいう作品だけでも、充分に「詩人」に価する。

 

苅田アサノの経歴をネット(Wikipedia)から引用する。

 

岡山県津山町(現・津山市)生まれ。生家は代々地主の家系で、学生時代からロシア文学及び社会主義思想に傾倒し、日本女子大学国文科を卒業後の1931年、日本共産党に入る。 入党以降財政面で支援を行うものの、1933年に治安維持法の疑いで検挙。転向の後1935年に出獄すると東洋経済新報社などを経て、1938年には郷里の岡山県に戻り西日本製紙に勤務する。

戦後は日本共産党に再入党し、1949年の衆院選に旧岡山1区から出馬し初当選を果たす。しかし再選を期した1952年の衆院選に落選し、以降2度衆院選に挑戦するも返り咲きとはならなかった。

戦前から晩年まで一貫して婦人解放運動に身を投じ、新日本婦人の会や日本婦人団体連合会、国際民主婦人連盟など婦人団体にも参加。

1973年8月5日、脳腫瘍のため東京都渋谷区の代々木病院にて死去。68歳。

 

苅田アサノは女性だが、戦う人であった。「阿修羅」は戦う人の詩だ。

 

「阿修羅」は、政治家が趣味的に書いたレベルの作品ではない。文学者の手で書かれた、普遍的な価値をもった文学作品が「阿修羅」だ。

 

無法なるものと戦う(反抗する)自分の内面の葛藤を、阿修羅像に投影させ、ものの見事に詩作品として結晶化している。

 

どこから見ても、詩以外の何物でもないが、詩の業界の中で書き続けた詩人の作品テイストとは明らかに異なっている。

 

文筆家(職業詩人)としてではなく、政治家として生きたことが、苅田アサノの詩を純化していると私には思えてならない。

 

政治家、政治活動家が書いた詩として極めて貴重である、というよりも、政治家が書いた詩だから、技巧に走らず、純粋な魂の発露としての詩となり得たと評価するべきだろう。

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濱口國男の詩「便所掃除」

濱口國雄の「便所掃除」というをご紹介します。

 

初めて私のこのブログ「美しい詩の言葉」を訪れた人に申し上げます。このページは、私の悪趣味によって公開しているわけではありません。

 

以下の詩は、ぜひとも読んでいただきたく、純粋な思いから掲載しておりますので、よろしければ、ぜひとも最後までお読みください。

 

便所掃除

 

扉をあけます

頭のしんまでくさくなります

まともに見ることが出来ません

神経までしびれる悲しいよごしかたです

澄んだ夜明けの空気もくさくします

掃除がいっぺんにいやになります

むかつくようなババ糞がかけてあります

 

どうして落着いてしてくれないのでしょう

けつの穴でも曲がっているのでしょう

それともよっぽどあわてたのでしょう

おこったところで美しくなりません

美しくするのが僕らの務めです

美しい世の中も こんな処から出発するのでしょう

 

くちびるを噛みしめ 戸のさんに足をかけます

静かに水を流します

ババ糞におそるおそる箒をあてます

ポトン ポトン 便壺に落ちます

ガス弾が 鼻の頭で破裂したほど 苦しい空気が発散します

落とすたびに糞がはね上がって弱ります

 

かわいた糞はなかなかとれません

たわしに砂をつけます

手を突き入れて磨きます

汚水が顔にかかります

くちびるにもつきます

そんな事にかまっていられません

ゴリゴリ美しくするのが目的です

その手でエロ文 ぬりつけた糞も落とします

大きな性器も落とします

 

朝風が壺から顔をなぜ上げます

心も糞になれて来ます

水を流します

心に しみた臭みを流すほど 流します

雑巾でふきます

キンカクシのうらまで丁寧にふきます

社会悪をふきとる思いで力いっぱいふきます

 

もう一度水をかけます

雑巾で仕上げをいたします

クレゾール液をまきます

白い乳液から新鮮な一瞬が流れます

静かな うれしい気持ちですわってみます

朝の光が便器に反射します

クレゾール液が 糞壺の中から七色の光で照らします

 

便所を美しくする娘は

美しい子供をうむ といった母を思い出します

僕は男です

美しい妻に会えるかも知れません

 

いかがでしょうか。以下、真面目に、この「便所掃除」という作品を鑑賞してみますね。

 

汲み取り式便所の悲劇?

 

水洗トイレしか知らない人には、汲み取り式便所(落下式便所・ボットン便所)を使ったことがない人は、この詩にリアリティを感じないでしょうか。

 

もし、かなり若い方で、まったく汲み取り式便所をイメージできない場合には、ネットで検索してください。顔をそむけたくなるような汚い写真を見ることができます。

 

ちなみに、この「便所掃除」という詩は、1950年代に書かれており、この時代にあっては日本のトイレはほぼ例外なく、この汲み取り式便所が採用されていたのです。

 

濱口國雄(はまぐちくにお)のプロフィール

 

濱口 國雄(浜口 国雄)は、1920年に生まれ、1976年に死去した。日本の詩人。

 

福井県丹生郡国見村(現福井市)鮎川生まれ。1940年、歩兵第69連隊に入隊。1946年、和歌山県の田辺港に帰着、復員。人夫、炭焼、臨時工員を経て、1947年、日本国有鉄道(国鉄)に就職、王寺駅に勤務。1948年、国鉄詩人連盟大阪詩話会に参加。

 

1956年に「便所掃除」という詩で、国鉄詩人連盟第5回国鉄詩人賞を受賞。

 

詩「便所掃除」の感想

 

NHKがかなり前ですが、「ガタロさん」という画家を描いたドキュメンタリー番組を放送したことがあります。ガタロさんは、広島のある地下街を掃除する仕事をされていた。いくつものトイレを掃除しなければいけないのですが、トイレ掃除の様子も撮影していたのです。

 

「ガタロさんが描く町~清掃員画家のヒロシマ~」

 

もちろん、NHKのドキュメンタリー番組では、この詩のように露骨には汚いシーンを映してはいません。

 

濱口國男は「便所掃除」というグロテスクな題材を、汚らしく、露悪的に描くと同時に、精神性を帯びた作品にまで高めた作品はないでしょう。

 

安易にこの詩を「美しい」と言えないほどの地獄が、この詩には描き出されている。

 

糞が汚いというよりも、汚しまくっている人間が汚く、愚劣なのです。

 

この詩は7つの連で構成されています。長い。1~2連は削ってもいいのではないでしょうか。しかし、濱口國男は削りませんでした。

 

便器の汚れが、社会の汚れが、人間の心の汚れが、しつこすぎるので、連を増やし、何度も何度も、たわしで磨き、雑巾がけし、水を流すなどの清掃作業を描かざるを得なかったのです。

 

では、濱口國男は怒りをぶつけているかというと、そうでもありません。

 

耐えがたきを耐え、忍び難きをしのび、汚きものの浄化を試みます。そのひたむきさは修行僧を想わせ、祈りに似た精神性さえ感じられるのです。

 

そして、最後の一連に救われます。糞とか尻とか、露骨な言葉が出てこない唯一の連です。

 

便所を美しくする娘は

美しい子供をうむ といった母を思い出します

僕は男です

美しい妻に会えるかも知れません

 

雨ニモマケズ、風ニモマケズ、糞ニモマケズ、前向きに、人の善、世の美、明日の希望を信じようとする作者の心に、この詩も祝福されると、感動したのでした。

 

その感動が、心を浄化してくれた、その意味で、この「便所掃除」という詩は美しいと言いたいのです。

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立原道造の詩「夢みたものは・・・・」

立原道造の「夢みたものは……」というをご紹介します。

 

夢みたものは・・・・

 

夢みたものは ひとつの幸福

ねがったものは ひとつの愛

山なみのあちらにも しずかな村がある

明るい日曜日の 青い空がある

 

日傘をさした 田舎の娘らが

着かざって 唄をうたっている

大きなまるい輪をかいて

田舎の娘らが 踊をおどっている

 

告げて うたっているのは
青い翼の一羽の 小鳥

低い枝で うたっている

 

夢みたものは ひとつの愛

ねがったものは ひとつの幸福

それらはすべてここに ある と

 

立原道造は、この詩「夢見たものは・・・・」で、自分自身がねがう理想の世界を、描き出した。

 

それは桃源郷か、一つのメルヘンか、いや、そこは「天国」と呼ぶべきだろうか。

 

立原にとって満ち足りた世界、そこになくてはならいないのは、静かな村、明るい休日、輪になって踊っている天使たち、青い空と青い小鳥……、そしてそこには、幸福と愛、夢と願い、それらのすべてがある。

 

立原道造は、現実、つまり、この地上界に生息しながらも、自由に天国に行けて、そこから地上界を眺め、夢のような、幻のような、この世とは思えない美しい世界を生み出した人だと思いたくなる。

 

「夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に」と立原道造は「のちのおもひに」で歌ったが、それは天上に棲む人が抱く、地上への郷愁なのかもしれない。

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