Warning: Undefined variable $show_stats in /home/kazahana/kazahanamirai.com/public_html/wp-content/plugins/stats/stats.php on line 1384

金子みすゞの詩「雪」

金子みすゞの「」というをご紹介します。

 

 

誰も知らない野の果で

青い小鳥が死にました

さむいさむいくれ方に

 

そのなきがらを埋めよとて

お空は雪を撒きました

ふかくふかく音もなく

 

人は知らねど人里の

家もおともにたちました

しろいしろい被衣(かずき)着て

 

やがてほのぼのあくる朝

空はみごとに晴れました

あおくあおくうつくしく

 

小さいきれいなたましいの

神さまのお国へゆくみちを

ひろくひろくあけようと

 

擬人法が効いている。

 

三連目、以下の三行の意味がとりにくいかもしれません。

 

人は知らねど人里の

家もおともにたちました

しろいしろい被衣(かずき)着て

 

「おともにたちました」は「弔(とむら)いをした」の方言だと思われます。「弔う」は「(小鳥の)死を悼む、冥福を祈る」の意。

 

雪をかぶった家を白い服を着た人に見立てて表現する、いわゆる擬人法を採用していますね。

 

上の三行は「人は気づいていないけれど、家も雪という真っ白い装束をまとって、小鳥の死を悼みました」くらいの意味で読めば良いでしょう。

 

中原中也と金子みすゞの違い

 

七五調の近代詩人といえば、中原中也が思い浮かびますが、この「雪」という金子みすゞの詩を読むと、同じ七語調でリズミカルに読める詩でも、中原中也と金子みすゞとでは、まるで真逆の内容になっていますね。

 

「真逆」の意味は、以下のとおりです。

 

中原の詩は内向きです、自己の内なる世界に眼が向けれているのか、夜の歌が多い。闇の中の光を詩にした作品が、中原中也には多い。

 

中原の詩は激しい自己愛に貫かれていて、それが中原の魅力にも限界にもなっています。

 

中原の自己愛は激しすぎて、自分自身が自分に衝突し、気づつけ、その苦悩を詩で告白しているのです。

 

一方、金子みすゞは、愛の対象を自分の外側に置いた。外なる世界に眼を向けているので、金子みすゞの詩では、昼間が多く、光に満ちている。

 

実は、内面の闇は中原中也に負けないくらい深かったのだと思います。

 

ただ、金子みすゞは、自分ではない何ものかを慈しむしか自分を愛する道はない、と気づいていた、あるいは、本能的に体得していたような気がするのです。

 

その意味で、金子みすゞの詩は「慈しみの文学」だと言っていいでしょう。

 

かといって、中原中也は自己中のどうしようもない人間かというと、決してそうではありません。

 

苦しみ悶えつつ、魂と宇宙との調和を希求する中原中也の姿は、崇高でさえあります。

 

あの名作「一つのメルヘン」に至るまで、永久調和を求めた中原中也の詩は「祈りの文学」と呼んで差し支えないでしょう。

 

金子みすゞのその他の詩はこちらに

カテゴリー
タグ

中原中也の詩「星とピエロ」

中原中也の「星とピエロ」というをご紹介します。

 

星とピエロ

 

何、あれはな、空に吊した銀紙ぢやよ

かう、ボール紙を剪(き)つて、それに銀紙を張る、

それを綱か何かで、空に吊し上げる、

するとそれが夜になつて、空の奥であのやうに

光るのぢや。分つたか、さもなけれあ空にあんなものはないのぢや

 

それあ学者共は、地球のほかにも地球があるなぞといふが

そんなことはみんなウソぢや、銀河系なぞといふのもあれは

女(をなご)共の帯に銀紙を擦すりつけたものに過ぎないのぢや

ぞろぞろと、だらしもない、遠くの方ぢやからええやうなものの

ぢやによつて、俺(わし)なんざあ、遠くの方はてんきりみんぢやて

 

見ればこそ腹も立つ、腹が立てば怒りたうなるわい

それを怒らいでジツと我慢してをれば、神秘だのとも云ひたくなる

もともと神秘だのと云ふ連中(やつ)は、例の八ツ当りも出来ぬ弱虫ぢやで

誰怒るすぢもないとて、あんまり始末がよすぎる程の輩(やから)どもが

あんなこと発明をしよつたのぢやわい、分つたらう

 

分らなければまだ教へてくれる、空の星が銀紙ぢやないというても

銀でないものが銀のやうに光りはせぬ、青光りがするつてか

それや青光りもするぢやらう、銀紙ぢやから喃(なう)

向きによつては青光りすることもあるぢや、いや遠いつてか

遠いには正に遠いいが、それや吊し上げる時綱を途方もなう長うしたからのことぢや

 

 

これは道化歌だが、中原中也にとって道化とは?

 

ユーモアやギャクの感覚は、人生の苦悩にどっぷりつかっていたら働かない。

 

どんなに追い詰められたどん詰まりの状態でも、自分を客観視、つまり距離をとって見ることができれば、いくらかは救われる。

 

人生を突き放して見ると同時に、おどけてみる、冗談を言ってみると生命力が回復する。

 

極限状況においてこそ、人間には「笑い」が必要だ。

 

「星とピエロ」は、数多い中也の詩の中でも異彩を放つ。老ピエロの語りという大胆な試みだが、成功しているのではないだろうか。

 

成功の意味は、読者である私が「中也、頑張ってるな、道化をありがとう」と感じえたことにある。

カテゴリー
タグ

中原中也の詩「月夜の浜辺」

中原中也の「月夜の浜辺」というをご紹介します。

 

月夜の浜辺

 

月夜の晩に、ボタンが一つ

波打際(なみうちぎわ)に、落ちていた。

 

それを拾って、役立てようと

僕は思ったわけでもないが

なぜだかそれを捨てるに忍(しの)びず

僕はそれを、袂(たもと)に入れた。

 

月夜の晩に、ボタンが一つ

波打際に、落ちていた。

 

それを拾って、役立てようと

僕は思ったわけでもないが

月に向ってそれは抛(ほう)れず

浪なみに向ってそれは抛れず

僕はそれを、袂に入れた。

 

月夜の晩に、拾ったボタンは

指先に沁(し)み、心に沁みた。

 

月夜の晩に、拾ったボタンは

どうしてそれが、捨てられようか?

 

私は中原中也は、生涯、「魂の永久調和」を願って生き続けた、詩作しつづけた人だと思っています。

 

中也の詩「サーカス」のレビュー記事では、「魂と宇宙との調和」を中原中也は希求し続けたと書いたのですが、このページではあえた「魂の永久調和」とします。

 

中原中也の詩「サーカス」レビュー

 

永久調和」という言葉は、ドストエフスキーが小説「白痴」の中で主人公のムイシュキン侯爵に、また小説「カラマーゾフの兄弟」の次男であるイワンに言わせた言葉です。

 

「調和」だけでなく、頭に「永久」をつけ、「永久調和」としたことに深い意味があるので、ご注意ください。

 

ドストエフスキーと中原中也には、共通点があります。

 

二人とも、常軌を逸したほど感受性が鋭く、魂の奥底に深い悩みを抱えて生きた。

 

生涯を通じて、激しい葛藤に苦しみぬいた。天国と地獄、天使と悪魔、愛情と憎悪などの相克がやまず、ついに魂の安寧を得ることはできなかった。

 

いつ果てるとも知らない混沌が続き、ついに訪れなかった魂の平安……しかし、私たちはドストエフスキーと中原中也が書いた作品を読むことで、「永久調和」まではいかなくとも、心の癒し(魂が救われる感じ)は得られるのです。

 

中原中也は自由詩を書き続けた詩人ですが、形式を強く求めた詩人でもありました。

 

葛藤と混沌という「不安定」に苦しんだ精神は、詩の形式に「安定」と「平和」を求めた。

 

だから、中原中也にとって詩の形式、感情や思想を盛り付ける「器」は極めて大事だったのです。

 

ソネット形式・七五調・リフレインなどの多用は、中也の「安定」への憧れと言っても良いだろう。

 

この詩「月夜の浜辺」は、主題も形式も、あまりに単純で明白すぎ、駄作に分類する人もいるかもしれない。

 

青春期から「中原中也詩集」と格闘してきた私としては、魂の「永久調和」を求め続けた一人の詩人が生み出した、絵本のような和らぎの世界が表されているという点で、とても失敗作とは言えない。

 

この「月夜の浜辺」を書いたことで、束の間であっても、中也の魂に和らいだとしたら、読者として嬉しい限りである。

 

中原中也のその他の詩はこちらに