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茨木のり子の詩「六月」

茨木のり子の「六月」というをご紹介します。

 

【動画】(詩の朗読)茨木のり子「六月」

 

六月

 

どこかに美しい村はないか

一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒(くろビール)

鍬(くわ)を立てかけ 籠(かご)を置き

男も女も大きなジョッキをかたむける

 

どこかに美しい街はないか

食べられる実をつけた街路樹が

どこまでも続き すみれいろした夕暮は

若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

 

どこかに美しい人と人との力はないか

同じ時代をともに生きる

したしさとおかしさとそうして怒りが

鋭い力となって たちあらわれる

 

茨木のり子の「六月」の朗読はこちらに

 

なぜ、六月、なのか?

 

この詩「六月」のテーマは、まぎれもなく「希望」である。

 

絶望的な現状から、希望を見出そうと、力強く呼びかける、前向きな詩だ。

 

しかし、なぜ茨木のり子は、この詩に「六月」というタイトルをつけたのか?

 

おそらくは、こうだ。

 

「絶望」を指すのは「六月」の暗く垂れこめた雲であり、いつやむとも知れない長雨である。

 

「希望」を指すのは、「六月」の暗い空の向こう側にある、蒼い空に真っ白な雲が浮かぶ夏の空だ。

 

茨木のり子が立っているのは、絶望の季節である「六月」だが、そこから「希望」することはできる。

 

絶望的な状況にあっても、村を、街を、人を、祝福することはできる。だから「六月」を生きられるだ。

 

まだ見えない希望を鮮明にイメージさせるために、解放と祝祭の季節である「八月」ではなく、暗い忍従の季節である「六月」でなければならなかったのである。

 

(追記)茨木のり子の誕生日は、6月12日。自身の原点から、「希望」なるものを歌い上げたかったのかもしれない。

 

「雨」を歌いながら、未来の希望を表現した名曲が「雨にぬれても」です。

 

1956年という時代

 

茨木のり子の「六月」という詩は、1956年(昭和31年)に発表された。

 

1964年には東京オリンピックが開催される。だが、茨木のり子の「六月」は、高度成長に向かう日本の高揚感を予見した詩では決してない。

 

茨木のり子は経済的な繁栄を夢見てはいないだろう。人が人らしく、自分が自分らしく生きられる、まっとうな世界を希求している。

 

しかし、おそらくは違う方向に日本は向かっているので、そうあってはならない、茨木のり子は半ば怒りを込めて希望している。

 

「明日」という日は「明るい日」と書く。1956年は「明日」を感じられた時代だったはずだ。少なくとも、2021年12月に生きる人々は、そう考えるだろう。

 

しかし、1956年という時代は、実は、日本人が本当の自分を見失ってゆく、闇雲に経済活動に突っ走り、迷走し、堕落し、真に尊いものを自ら手放してゆく、悪夢の始まりのような時代なのだ。

 

では、1956年当時の日本人は、「本当の自分」を明確に持ち「真に尊いもの」を大事にしていたかというと、そうではない。

 

戦後の混乱から抜け出ようとしていて、これから、本当の豊かさを見つける道を歩みだせるチャンスを有していたのだ。要するに、1956年から現在に至るまで、日本人は完全に道を誤ってしまったのである。

 

原点回帰の必要性。そもそも、日本人とは誰なのか?

 

では、現代と1956年当時との最大の違いは何か。それはエネルギーである。

 

1956年当時の日本人には、爆発的なエネルギー(潜在能力を含む)を持っていたが、現代の日本人には、それがないのだ。

 

では、今の私たちは「六月」という詩に「希望」見出せるか?

 

「希望」への道は一つしかない。「本当の自分」と「真に尊いもの」を見出すことだ。

 

その「希望」への道は、茨の道だろうか。

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金子みすゞの詩一覧と特集記事

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金子みすゞのプロフィール

 

金子みすゞは、1903年(明治36年)4月11日に生まれ、1930年(昭和5年)3月10日に26歳の若さで死去。大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人です。

 

1923年(大正12年)9月に『童話』『婦人倶楽部』『婦人画報』『金の星』の4誌に一斉に詩が掲載され、西條八十からは「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されました。

 

多くの優れた近代詩人がそうであるように、金子みすゞも短命でした。わずか26年の生涯を、服毒による自殺で終えてしまったのです。

 

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このページ「金子みすゞの有名な詩一覧」は、今後もアップデートしてゆきますので、ときどきアクセスしてご確認くださいね。

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金子みすゞの詩「星とたんぽぽ」

金子みすゞの「星とたんぽぽ」という詩をご紹介します。

 

星とたんぽぽ

 

青いお空の底ふかく、

海の小石のそのように、

夜がくるまで沈んでる、

昼のお星は眼にみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、

見えぬものでもあるんだよ。

 

散ってすがれたたんぽぽの、

瓦(かわら)のすきに、だァまって、

春のくるまでかくれてる、

つよいその根は眼にみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、

見えぬものでもあるんだよ。

 

※すがれる【尽れる・末枯れる】は「枯れる、衰える」の意。

 

金子みすゞの描いた世界は、絵本のように、きれいで、愛らしい。

 

この詩「星とたんぽぽ」の主題は単純だ。

 

「眼には見えないけれども、確かに存在するもの」、それこそが尊いと、これ以上は優しくできなくらいに優しく、そして可愛らしく、金子みすゞは伝えてくれている。

 

ストレートに言うなら「昼間の星」と「植物の根っ子」が大事だということ。しかし、このようにストレートに言ってしまえば、ただの教訓話に過ぎなくなってしまう。

 

ともすれば、お説教になってしまいかねないことを、金子みすゞは、絵本を開いてくれるように、色鮮やかに、やわらかく丸いタッチで(人生の真実を)描き出す。

 

空を海に、海の底の小石を星にたとえたり、たんぽぽの根を子供のかくれんぼみたいに「春がくるまでかくれてる」と表現したり、愛らしい「みすゞ節」が全開。

 

金子みすゞがくれるのは、人生の教訓ではなく、本物の優しさ。

 

この「星とたんぽぽ」にかぎらず、金子みすゞの詩を鑑賞する時、道徳話として受け止め、その道徳を他人に押し付けてはいけないと私は思っている。

 

金子みすゞの詩から人生の教訓を引き出すことは容易だが、金子みすゞ自身は、「これこれこういう時にはこうしなければいけませんよ」と断定したり、限定したりしてはいない、このことは注意すべきだ。

 

道徳教育として、金子みすゞは詩を書いてはいない。

 

人生にはギリギリの選択を迫られることがある。人生の岐路において、金子みすゞは、あなたに行くべき方向を指し示してはくれない。

 

決めるのは、あなた自身。結論を言ってくれないこと、それが金子みすゞの本物の優しさではないだろうか。

 

わたしとしては、金子みすゞの詩を読みながら、しばし、金魚のように可愛らしくふりながら、泳いでいたい、ただそれだけになりたい、と願うばかりである。

 

金子みすゞのその他の詩はこちらに

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