金子みすゞの「こよみと時計」という詩をご紹介します。
こよみと時計
こよみがあるから
こよみを忘れて
こよみをながめちゃ、
四月だというよ。
こよみがなくても
こよみを知ってて
りこうな花は
四月にさくよ。
時計があるから
時間をわすれて
時計をながめちゃ、
四時だというよ。
時計はなくても
時間を知ってて
りこうなとりは
四時にはなくよ。
集中力が鈍っている時に、さらっと読んだら、この詩は何を言いたいのか、こんがらがるかもしれません。
しかし、じっくり読めば、容易に金子みすゞの言いたいことは理解できるでしょう。
人は暦(こよみ)と時計を発明して、物理的な時間の経過を数字で把握しています。
しかし、「花」は暦がなくても自分が咲く時期(例えば「四月」)を知っているし、「鳥」は自分が鳴く時刻(例えば「四時」)を知っている。
では、人はどうか?
暦を見て、あるいは時計を見て、時期や時間はわかるけれども、本当に大切なことは理解していないのではないか。
つまり、花が自分の咲くべき時期を、鳥が自分が鳴くべき時刻を知るように、自分の感性や直観や本能で理解すべきことを、人間は暦や時計に頼ることで、見失ってしまった、知る能力も退化させてしまったことを、金子みすゞは危ぶんでいるのである。
花や鳥が自分の感性や直観や本能で理解している「本当に大切なこと」は、人間の人生に置き換えるならば、「本当の自分」「自分の天職」「本来の自分がやりたかったこと」。また、「退化してしまった能力」とは「道具に依存しないで、自分の直観や動物的な勘で察知する力」を指すのです。
つまり、人間が生み出した便利な道具である、暦や時計によって、人間にとって極めて大事なことを人間自ら失くしてしまったわけです。
暦や時計だけではないでしょう。便利なものは、必ず人間から何かとてつもなく大事なものを奪ってしまう。
「便利」「利便性」「快適」などのかわりに、人間が自分たちの宝を捨ててしまったことにできるだけ早く気づき、その具体的な対策となる行動を、できるだけ早く起こすべきではないでしょうか。
でなければ、人間は自分の運命を愛することもできなくなる、即ち、人間でなくなってしまうかもしれません。