「ジェニーの肖像」という映画を初めて鑑賞しました。「第三の男」のジョゼフ・コットンと「慕情」のジェニファー・ジョーンズが共演した、幻想ミステリー仕立ての恋愛映画です。
1948年にアメリカで製作され、監督は ウィリアム・ディターレが担当しました。
この映画はファンダジーです。幻想映画で優れた作品に共通するのは、ファンタジーだと知りながらも、実際に起きるかもしれない、いやすでに起きている、と信じてしまうような力があること。
「ジャニーの肖像」も、本当にジェニーはいて、私のところにも現れるのではないか、と感じてしまったのです。
さっそく、原作であるロバート・ネイサンの小説「ジェニーの肖像」を購入して読み始めました。
貧しい画家・イーベンの前に、どうしてジェニーは現れたのか、イーベンの何がジェニーを呼び寄せたのか、それを確かめたかったからです。
小説「ジェニーの肖像」は、時代を超えた読み継がれている、古典的な名作
高いクオリティーに思わず、のけぞりました。
戦後の日本で出版された日本作家のエンタメ小説が、すべて滅びても、ロバート・ネイサンの小説「ジェニーの肖像」は、ずっと読み継がれるだろう、というくらいの名作です。
小説「ジェニーの肖像」の魅力は、無意識化で探し求めていた(求めあっていた)二人の魂の出逢いを描いている点にあります。
幻想小説ですが、幻想ゆえに、これほど美しい恋愛はありません。
私自身、現在、病気療養中であり、気持ちが沈み込むこともあるのですが、今回読み返してみて、どれほど救われたかわらないくらいです。
ヒロインを、時空を超えるキャラクターにすえ、時間と空間の感覚に挑戦している点も素晴らしい。
素晴らしい人生とは、時間と空間の感覚を死ぬまでに統御して、自分らしい物語を完結させることにあると、最近の私は考えるようになりました。
これから生きられる時間が短い、とわかったからこそ、悔いのないよう、ラストシーンとそれに至るプロセスを描き出したいと思っています。
小説「ジェニーの肖像」のもう一つの素晴らしさは、情感あふれる表現です。
特に、風景描写が見事。
しかし、その一方で、心理描写はそれほど上手くありません。
場の空気感の表出も、もう少し何とかならなかったのか、と思う箇所もありました。
最初に私は「貧しい画家・イーベンの前に、どうしてジェニーは現れたのか、イーベンの何がジェニーを呼び寄せたのか、それを確かめたかった」と書きました。
それに関しての謎の開示は、小説にはありません。
ヒロインの履歴などは、小説よりも映画の方が詳細です。
小説はそのあたりを、ばっさり省略しています。
エンターテイメント小説は、謎を必ず解くが、純文学は謎は解かないで謎のままにすると言います。
その点では、小説「ジェニーの肖像」は純文学的な小説と言えそうです。
ラストシーンは、物足りません。謎解きがないからではなく、あまりにもアッサリし過ぎているのです。
おそらくは、心理描写をもう少し掘り下げないと、くどくどと書き込まなくても良いのですが、小説としての感動をさらに強めることはできないとも思われます。
でも、風景描写以外は、すべてサラっとした文体となっているので、読みやすいのかもしれません。
ともあれ、この小説「ジェニーの肖像」は、時代を超える名作小説であることは間違いないでしょう。