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いちばん好きな日本語を一つだけ選べと言われたら「しなやか」をあげるかもしれません。
想いかえせば、この「しなやか」という言葉の美しさ、いえ、その「強さ」を知ったのは、大学受験に失敗して、予備校に通っていた頃でした。
本当に「しなやか」とは、長いお付き合いをしていることになります。
予備校の現代国語の授業で、大学入試問題を解いていて、その問題の中に、東山魁夷の「風景開眼」という随筆があったのです。
この文章は現在は、「風景との対話」という本に収録されています。
この「風景開眼」の中に、芒(すすき)の茎の話が出てくるのです。
東山魁夷は昭和12~13年頃、幼稚園に間借りして「一年の大半を人気の無い高原に立って、空の色、山の姿、草木の息吹きを、じっと見守っていた」そうです。
ハッとするほど澄明な文章がありますので、引用してみましょう。
ところどころに雪の残る高原は、打ちひしがれたような有様であった。その中に、昨年の芒(すすき)が細く立っているのが不思議であった。深い雪と、烈しい風の冬を経て、頑丈な樅(もみ)の枝でさえ折れているのがあるのに、どうしてこの細々とした茎が立ちつづけていたのだろう。(中略)
やがて、再び貼るが廻ってくる。さて、あおの芒は━━雪が降ってきた時は、だんだん下から積もって、そのまま倒れずにいるうちに、しまいには、すっぽりと雪の中に蔽いかくされてしまう。雪がとけると、頭のほうから出て来て、こうして春に残るのである。私はこの弱々しいものの、運命に逆らわないで耐えている姿に感動した。
この中に「しなやか」という言葉は全く出てきません。しかし、二十歳前の私は、この芒のように「しなやかに」生きられたらいいのに、と祈るような気持ちになったのでした。
その洗われたような心持は、今でも鮮やかによみがえります。
「しなやか」というと、思い出すのは、竹林です。
二十代の頃、竹林が好きで、近くの東山公園に何度も出かけました。
では、竹は雪が激しい日はどのような姿でいるのでしょうか。
実は、降り積もった雪によって、大きく屈曲し、見ているのが辛いほどなのです。
中には、雪の重さに耐えかねて、倒れてしまっている竹もありました。
竹というと、しなって、しなって、雪を振り落とし、凛として立ちつづける様をイメージしますが、それが現実はそうではありません。
一方、芒は、どうか?
竹よりも、ずっと、か弱い存在ですよね。でも、弱いがゆえに、厳しい雪の季節に負けないで生をまっとうできる。それって、本当に素晴らしいではありませんか。
「しなやか」であることは、実は「強い」ことなのですね。