今回は萩原朔太郎の「竹」という詩をご紹介する。
竹
ますぐなるもの地面に生え、
するどき青きもの地面に生え、
凍れる冬をつらぬきて、
そのみどり葉光る朝の空路に、
なみだたれ、
なみだをたれ、
いまはや懺悔をはれる肩の上より、
けぶれる竹の根はひろごり、
するどき青きもの地面に生え。
竹
光る地面に竹が生え、
青竹が生え、
地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より繊毛が生え、
かすかにけぶる繊毛が生え、
かすかにふるえ。
かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。
○
みよすべての罪はしるされたり、
されどすべては我にあらざりき、
まことにわれに現はれしは、
かげなき青き炎の幻影のみ、
雪の上に消えさる哀傷の幽霊のみ、
ああかかる日のせつなる懺悔をも何かせむ、
すべては青きほのほの幻影のみ。
萩原朔太郎の生涯について
萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)11月1日 - 1942年(昭和17年)5月11日)は、日本の詩人。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。
1917年(大正6年)32歳で、第一詩集『月に吠える』を感情詩社と白日社共刊により自費出版で刊行。
内容・形式共に従来の詩の概念を破り、口語象徴詩・叙情詩の新領域を開拓し、詩壇に確固たる地位を確立。
森鷗外の絶賛を受けるなど、一躍詩壇の寵児となり、5月『文章世界』誌上において神秘主義・象徴主義論のきっかけをつくる論文を発表。(引用元:ウィキペディア)。
萩原朔太郎の生涯について読んでいると、以下の一点に行きついた。
「人たらし」
文学的交流というのか、さまざまな著名な文学者と萩原朔太郎は交流している。交流し過ぎなくらいに……。
室生犀星、山村暮鳥、森鷗外、若山牧水、谷崎潤一郎、芥川龍之介、三好達治、堀辰雄、梶井基次郎などなど、豪華ともいえる、優れた文学者と親交していることが、まずもって凄い。
自分では「孤独癖」があるようなことを言っているようだが、実は「人たらし」だったと思われる。
だから、常に文学的な環境は整っていたと言える。
「竹」は、萩原朔太郎が生み出した、最高峰の未完成交響詩
私は密かに、萩原朔太郎は一流の詩人というより、優れた散文家だと思っている。
作家と呼ぶには作品が完成の域に達しておらず、雑文家というには作品はあまりにも文学的な雰囲気をもち、萩原朔太郎自身は崇高な理想に燃えていたから。
萩原朔太郎の特徴は、その文学的な活動に「完成された境地」が見えないことだ。
「竹」は、詩らしく書かれてはいるが、実は極めて概念的であり、美意識の高さ、思想の深さ、ともに物足りない。作品として結晶していない。もちろん、超一流の文学者(芸術家)と比べてだが。
作品を完成させるための何かが欠けているのだ。あるいは、過剰な何かが、完成を妨げていたのかもしれない。
萩原朔太郎ほど崇高な理想を抱いていなくても、完成した純度の高い詩を書いた詩人はいるのだから……。
繰り返しになるが、萩原朔太郎本人とその詩作品は、文学的な雰囲気にあふれている。
だが、萩原朔太郎が文学者として一つの仕事を成就したとは思えないし、詩もすべて未完成で終わっている気がしてならない。
私としては「竹」を、萩原朔太郎の最高傑作、いや、最も優れた未完成交響詩と呼びたい。
シューベルトの未完成交響曲が、彼の最高峰かもしれないように、完成しなかった作品が、作者の頂点であってもかまわないと思うから。
萩原朔太郎は「竹」によって、或る文学的なるもの、或る芸術的なるものを表現しようとした。
その志は高い。崇高な精神と美への果敢な挑戦さえも感じられる。
だがしかし、詩作品として、完成してはいないのだ。何度も繰り返して申し訳ないが……。
その意味から、萩原朔太郎は生涯、未完成の作品を生み出し続けた、稀有な作家だと言えるかもしれない。