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萩原朔太郎の詩「旅上」

美しい詩 - 萩原朔太郎

萩原朔太郎の「旅上」という詩をご紹介します。

 

【動画】(詩の朗読と鑑賞)萩原朔太郎「旅上」

 

旅上

 

ふらんすへ行きたしと思へども

ふらんすはあまりに遠し

せめては新しき背廣をきて

きままなる旅にいでてみん。

汽車が山道をゆくとき

みづいろの窓によりかかりて

われひとりうれしきことをおもはむ

五月の朝のしののめ

うら若草のもえいづる心まかせに。

 

萩原朔太郎の詩の中でいちばん良いのではないだろうか(苦笑)。

 

というのは、萩原朔太郎の詩の多くは、力みが先に立ち、つまり壮大かつ崇高な志を抱いて書いている、その姿勢ばかりが目立って、作品がその志についてこれてないのである。

 

そのためか、「詩の原理」のような詩論の方が読みごたえがある。

 

もちろん、萩原朔太郎は、日本近代史において重要な人物であることは間違いない。

 

しかし、萩原朔太郎は、詩人としては成功できなかった。

 

優れた詩はいくつもあるが、萩原朔太郎自身が想い描いた理想郷(詩の境地)には、程遠かった。

 

だから、萩原は詩人として成功できなかったと言えるし、不幸であったと言えよう。

 

「人間なんてこんなものさ、自分はこの程度の人間だ」と、素直に現実を受け入れ、肩の力を抜いて試作すれば、もっと才能を豊かに開花できたのではないか、と萩原朔太郎の詩を読むたびに思う。

 

しかし、この「旅上(りょじょう)」は良い。詩として優れているという意味ではない。詩としては凡庸極まりない。

 

だが、萩原朔太郎の精励刻苦したのにもかかわらず、思うようには書きえなかった力作を知る者は、この「旅上」を読むと、ほっとするのだ。

 

「これでいい、萩原さん。こういう詩の方が人に愛されますよ」とは、とても萩原朔太郎には声掛けできないが、微笑みくらいはおくれると思うのである。

 

「旅上」は、素直に呼べる良作だ。素直な萩原朔太郎が、そこにいる。

萩原朔太郎の詩「竹」~詩集「月に吠える」より

美しい詩 - 萩原朔太郎

今回は萩原朔太郎の「」というをご紹介する。

 

 

ますぐなるもの地面に生え、

するどき青きもの地面に生え、

凍れる冬をつらぬきて、

そのみどり葉光る朝の空路に、

なみだたれ、

なみだをたれ、

いまはや懺悔をはれる肩の上より、

けぶれる竹の根はひろごり、

するどき青きもの地面に生え。

 

 

光る地面に竹が生え、

青竹が生え、

地下には竹の根が生え、

根がしだいにほそらみ、

根の先より繊毛が生え、

かすかにけぶる繊毛が生え、

かすかにふるえ。

かたき地面に竹が生え、

地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、

凍れる節節りんりんと、

青空のもとに竹が生え、

竹、竹、竹が生え。

 

 

みよすべての罪はしるされたり、

されどすべては我にあらざりき、

まことにわれに現はれしは、

かげなき青き炎の幻影のみ、

雪の上に消えさる哀傷の幽霊のみ、

ああかかる日のせつなる懺悔をも何かせむ、

すべては青きほのほの幻影のみ。

 

萩原朔太郎の生涯について

 

萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)11月1日 - 1942年(昭和17年)5月11日)は、日本の詩人。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。

 

1917年(大正6年)32歳で、第一詩集『月に吠える』を感情詩社と白日社共刊により自費出版で刊行。

 

内容・形式共に従来の詩の概念を破り、口語象徴詩・叙情詩の新領域を開拓し、詩壇に確固たる地位を確立。

 

森鷗外の絶賛を受けるなど、一躍詩壇の寵児となり、5月『文章世界』誌上において神秘主義・象徴主義論のきっかけをつくる論文を発表。(引用元:ウィキペディア)。

 

萩原朔太郎の生涯について読んでいると、以下の一点に行きついた。

 

「人たらし」

 

文学的交流というのか、さまざまな著名な文学者と萩原朔太郎は交流している。交流し過ぎなくらいに……。

 

室生犀星、山村暮鳥、森鷗外、若山牧水、谷崎潤一郎、芥川龍之介、三好達治、堀辰雄、梶井基次郎などなど、豪華ともいえる、優れた文学者と親交していることが、まずもって凄い。

 

自分では「孤独癖」があるようなことを言っているようだが、実は「人たらし」だったと思われる。

 

だから、常に文学的な環境は整っていたと言える。

 

「竹」は、萩原朔太郎が生み出した、最高峰の未完成交響詩

 

私は密かに、萩原朔太郎は一流の詩人というより、優れた散文家だと思っている。

 

作家と呼ぶには作品が完成の域に達しておらず、雑文家というには作品はあまりにも文学的な雰囲気をもち、萩原朔太郎自身は崇高な理想に燃えていたから。

 

萩原朔太郎の特徴は、その文学的な活動に「完成された境地」が見えないことだ。

 

「竹」は、詩らしく書かれてはいるが、実は極めて概念的であり、美意識の高さ、思想の深さ、ともに物足りない。作品として結晶していない。もちろん、超一流の文学者(芸術家)と比べてだが。

 

作品を完成させるための何かが欠けているのだ。あるいは、過剰な何かが、完成を妨げていたのかもしれない。

 

萩原朔太郎ほど崇高な理想を抱いていなくても、完成した純度の高い詩を書いた詩人はいるのだから……。

 

繰り返しになるが、萩原朔太郎本人とその詩作品は、文学的な雰囲気にあふれている。

 

だが、萩原朔太郎が文学者として一つの仕事を成就したとは思えないし、詩もすべて未完成で終わっている気がしてならない。

 

私としては「竹」を、萩原朔太郎の最高傑作、いや、最も優れた未完成交響詩と呼びたい。

 

シューベルトの未完成交響曲が、彼の最高峰かもしれないように、完成しなかった作品が、作者の頂点であってもかまわないと思うから。

 

萩原朔太郎は「竹」によって、或る文学的なるもの、或る芸術的なるものを表現しようとした。

 

その志は高い。崇高な精神と美への果敢な挑戦さえも感じられる。

 

だがしかし、詩作品として、完成してはいないのだ。何度も繰り返して申し訳ないが……。

 

その意味から、萩原朔太郎は生涯、未完成の作品を生み出し続けた、稀有な作家だと言えるかもしれない。

萩原朔太郎の詩「大渡橋」~詩集「純情小曲集」より

美しい詩 - 萩原朔太郎

今回は萩原朔太郎の「大渡橋(おおわたりばし)」というをご紹介します。

 

大渡橋

 

ここに長き橋の架したるは

かのさびしき惣社の村より 直(ちよく)として前橋の町に通ずるならん。

われここを渡りて荒寥たる情緒の過ぐるを知れり

往くものは荷物を積み車に馬を曳きたり

あわただしき自轉車かな

われこの長き橋を渡るときに

薄暮の飢ゑたる感情は苦しくせり。

ああ故郷にありてゆかず

鹽(しお)のごとくにしみる憂患の痛みをつくせり

すでに孤獨の中に老いんとす

いかなれば今日の烈しき痛恨の怒りを語らん

いまわがまづしき書物を破り

過ぎゆく利根川の水にいつさいのものを捨てんとす。

われは狼のごとく飢ゑたり

しきりに欄干(らんかん)にすがりて齒を噛めども

せんかたなしや 涙のごときもの溢れ出で

頬(ほ)につたひ流れてやまず

ああ我れはもと卑陋(ひろう)なり。

往(ゆ)くものは荷物を積みて馬を曳き

このすべて寒き日の 平野の空は暮れんとす。

 

大渡橋とは

 

大渡橋(おおわたりばし)は、群馬県前橋市総社町総社と同岩神町の間の利根川に架かる群馬県道6号前橋箕郷線(上毛三山パノラマ街道)の橋で、日本百名橋に選ばれた。 今日の橋は3代目にあたり、左岸側には萩原朔太郎の詩碑、右岸側には緑地がある。

 

明治時代、舟橋や木橋が架けられた後、近代橋の利根橋が下流に架けられた。 1921年(大正10年)初代となる大渡橋(長さ504 m三連鋼曲弦トラス橋)が架けられ、萩原朔太郎は『郷土望郷詩』で題材とした(引用元:ウィキペディア)。

 

文学的な、あまりに文学的な萩原朔太郎の世界

 

私の「詩心チャンネル」のコメント欄で、萩原朔太郎の詩も取り上げてほしい、という主意のご要望をいただいた。

 

少々、困惑した。

 

萩原朔太郎の詩は、あるいは、萩原朔太郎が目指した世界は、あまりにも文学的である。その文学的な表現志向を、自身の理想を、萩原はほとんどかなえられなかったのではないか、という想いがすぐに浮かんできたからだ。

 

萩原朔太郎の目指した詩的境地は、他の日本の詩人に比べて、あまりにも異質過ぎている。

 

ただ、古今東西の文学史を引いた視点で振り返ると、萩原朔太郎の目指したであろう境地は、何ら特別なものはない。

 

萩原自身は自分を異端児だと感じ、相当に傷つき不幸を背負って生きたと思っていただろうが、その苦悩はむしろ凡庸であり、俗っぽいものであったのかもしれない。

 

萩原の詩に、概念性が強く、大げさで生々しい表現が多いのは、あふれるほどの詩才には恵まれていなかった証拠だとも言えるだろう。

 

崇高な志を抱いて詩作に励んでも、できた詩自体は平凡だった、ということはありうるのである。

 

注視すべきは、萩原朔太郎は、私たちが萩原朔太郎から離れて、純粋に詩として味わえる、客観的かつ普遍的な結実を果たせなかったことだ。

 

今回、ご紹介した「大渡橋」も、駄作ではないが、詩として成功しているとは言い難い。

 

感情の激しさ、切実は伝わってくるが、萩原朔太郎に対して何の予備知識もない人に、何か尊いものを与えられるパワーがあるかというと、かなり心もとない。

 

詩とか、美は、きれいな感傷である必要はない。人間の暗部、懊悩、悪魔性、背徳性、エログロなどを含んでいた方が、作品としての深みが増すことは間違いない、と私も思っている。

 

ただ、萩原朔太郎の場合、意図的に、作為的に、純朴で無垢なセンチメンタリズムを否定し、もっと人間の矛盾、葛藤、相克などを目指したが、文学作品として結晶させられなかった(作品として完成させえられなかったこと)は忘れてはならない。

 

もちろん、特筆に値する作品はある。

 

しかし、萩原朔太郎本人が目指した境地には、遠く及ばなかったであろうことは想像に難くない。

 

平たく言えば、失敗作が多すぎるのである。萩原朔太郎は詩人として成功するために必要な何かが欠落していたように思う。というか、詩人となるには、他の要素が溢れすぎていたのかもしれない。

 

萩原朔太郎の詩を読み解く時、その過剰性と欠落性は、重要なポイントとなるだろう。

 

とはいえども、萩原朔太郎が残した文学的功績は無視できない。

 

萩原朔太郎は偉大な先駆者だが、後継者はいまだに現れていない。

 

私は最も評価しているのは、萩原朔太郎の詩ではなく、詩論書だ。

 

詩の原理」という詩論書は、日本文学史において貴重な成果である。

 

私は青春期に、ポーやボードレールの詩論を読んだが、この二人の詩論に迫る、本格的な詩論を書いたのは、またその能力を有していたのは、萩原朔太郎だけではないだろうか。

 

萩原朔太郎自身が目指してなし得なかった境地に達する詩人が、今後、日本に生まれるだろうか。

 

未完成で終わった、萩原朔太郎の詩業の後継者を、今の日本が求めているか、そちらの方が問題かもしれない。

 

萩原朔太郎は日本近代詩の貴重な先駆者だが、彼の回し始めたフィルムは切れたままである。切れたフィルムをつなぎあわせ、時代の無意識を呼び覚ます、本物の詩という映画を作り上げる、本物の詩人は、今後日本に現れるのだろうか。

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