今井正監督の映画「どっこい生きてる」を鑑賞した。
1951年の作品。新星映画社・前進座製作、北星映画配給。戦後復興期の庶民の最底辺の生活をリアルに描いた、記念碑的な傑作である。
⇒映画「どっこい生きてる」はYouTubeにて無料で鑑賞可能です
主な出演者は、河原崎長十郎(かわらさき ちょうじゅうろう)、中村翫右衛門(なかむら かんえもん)、木村功、飯田蝶子など。
映画「どっこい生きてる」の裏エピソードとして、ウィキペディアの解説が貴重であり、かなり参考になるので、以下、引用しておく。
レッド・パージで大手映画会社から追放された左翼系映画人らによる独立プロ運動の最初期の作品であり、東宝争議の指揮者だった亀井文夫、山本薩夫らによって設立された新星映画社と、戦前から映画製作も行っている前進座の提携で製作された。
戦後復興期の1951年(昭和26年)3月に撮影が開始されたが、撮影中に警察によって撮影用ワゴンもろともスタッフ4人が拉致されたり、共産党幹部が潜伏しているという口実で、前進座が家宅捜査され、未使用のフィルムを使用不能にされたりした。
製作資金は、一口50円の出資を大衆から集め、合計400万円となった。中にはニコヨン(日雇い労働者)がガマガエルを獲って大学の実験用に売り、寄付したというエピソードもある。本作の冒頭には「この映画は日本映画を愛する多くの人々の協力のもとに作られたものである」とクレジットされている。
「レッド・パージ」については、基礎知識として知っておいてほしいので、これもウィキペディアの解説を引用しておく。
レッドパージ(英: red purge、レッド・パージ表記もある)は、連合国軍占領下の日本で、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) 総司令官ダグラス・マッカーサーの指令により、日本共産党員とシンパ(同調者)が公職追放され、当該期間に公務員や民間企業で「日本共産党員とその支持者」らを解雇した動きを指す。
1万を超える人々が失職した。「赤狩り」とも俗称される。同じく 1950年にアメリカ合衆国で共産主義者が追放(マッカーシズム)された。アメリカでの動きも含めて全てをレッドパージ・赤狩りと称する場合もある。
今井正監督というと、「また逢う日まで」のガラス越しの接吻シーンを想起する人が多いと思うのが、本作品は「どっこい生きてる」は、そういうロマンチックな要素は全くない。
戦後の庶民の極貧生活をリアルに、綺麗ごとを排除して、容赦なく描写している。ヴィットリオ・デ・シーカ監督「自転車泥棒」などの影響が色濃いようだ。
日本は1945年に敗戦したが、1951年といえば、まだ日本は占領下にあった時代である。
当時は職安の前は夜明け前から、ニコヨンとよばれた日当240円の日雇労働者であふれていたという。
時代が余りにも暗すぎる。暗い時代に夢を売る映画は多いが、この「どっこい生きてる」のようにリアルに描出する映画は貴重である。
見ていて辛くなる時もあるが、たくましく生きようとする人間の姿は、感動的でさえある。
今井正監督は大手映画会社を離れた後、実際にクズ屋をやったことがあり、その体験が作品に生きているというから驚きだ。