まど・みちおの詩「もうすんだとすれば」を取り上げます。
【動画】(詩の朗読と鑑賞)まど・みちお「もうすんだとすれば」
テレビドラマ「丘の上の向日葵」を鑑賞しました。「丘の上の向日葵」はTBS系列で1993年4月11日 - 6月27日に東芝日曜劇場枠で放送された山田太一原作・脚本のドラマです。
「丘の上の向日葵【TBSオンデマンド】」
小林薫がいい味を出していて、島田陽子、竹下恵子、葉月里緒奈といった女優陣も、ユニークな顔合わせで新鮮でした。
もちろん、山田太一独特のセリフ回しには、酔いしれることができます。
ドラマとして充分に楽しめる作品ですが、この中で登場する「詩」も実に素晴らしい。
その詩の作者は、まど・みちお。
まど・みちお、彼の詩は、極めてシンプル。単純で、豊かで、無限の広がりが感じられます。
山田太一のドラマは、ふだん当たり前だと思っている日常が実は奇妙なものであることに気づかせてくれます。
まど・みちおの詩には、いつもは見落としてしまうようなことを、先入観なく無心で見つめることで、非常に大切なことを発見できる、驚きと、おののきを与えてくれます。
山田太一とまど・みちおの協奏曲は、不意打ちのように新鮮でした。けれど、変哲もない日常には、とてつもない大きな事件の芽が潜んでいることを知ることにおいて、二人の世界は酷似しています。
そのため、この「丘の上の向日葵」というドラマは、詩がしばしば登場してきても、違和感なく楽しめるのだと思うのです。
例えば、以下の詩、「もうすんだとすれば」は第9話に出てきます。ドラマでは「遅れすぎて 進んでいるのだ」まで紹介されています。
もうすんだとすれば
もうすんだとすれば これからなのだ
あんらくなことが 苦しいのだ
暗いからこそ 明るいのだ
なんにも無いから すべてが有るのだ
見ているのは 見ていないのだ
分かっているのは 分かっていないのだ
押されているので 押しているのだ
落ちていきながら、昇っていくのだ
遅れすぎて 進んでいるのだ
一緒にいるときは ひとりぼっちなのだ
やかましいから 静かなのだ
黙っている方が しゃべっているのだ
笑っているだけ 泣いているのだ
ほめていたら けなしているのだ
うそつきは まあ正直者だ
おくびょう者ほど 勇ましいのだ
利口にかぎって バカなのだ
生れてくることは 死んでいくことだ
なんでもないことが 大変なことなのだ
この「もうすんだとすれば」は「逆もまた真なり」という真実を詩にしてしまった、これぞ、まど・みちおマジックの真骨頂。
まど・みちおの視点(目の付け所)は、いつも新鮮。意外性に満ちていながら、物事の本質からはずれることはない。
難しい言葉を使わないからこそ、森羅万象のまん真ん中を射ぬけるのだと言いたげな、丸くて優しい表現から、無限の気づきが得られる。