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谷川俊太郎の詩「かなしみ」

今回は谷川俊太郎の「かなしみ」という詩をご紹介。

 

かなしみ

 

あの青い空の波の音が聞こえるあたりに

何かとんでもないおとし物を

僕はしてきてしまったらしい

 

透明な過去の駅で

遺失物係の前に立ったら

僕は余計に悲しくなってしまった

 

私が提唱する「詩心回帰」。そこでは、詩心の役割についてもご説明しています。

 

忘れかけていた(忘れてしまっていた)大切なことを想い出すこと。

 

本当の自分に再会すること。本来なりたかった自分になるために必要なことに、気づき、それを取り戻すこと。

 

それらを、物も見事に、やわらかな言葉で表現しているのが、谷川俊太郎の「かなしみ」です。

 

極めて大事なことを、忘れていないと生きられない、それが人生だとしたら、あまりに悲しい。

 

だから、谷川俊太郎は、この詩のタイトルを「かなしみ」としたのでしょうか。

 

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映画「続 警察日記」には「警察日記」をしのぐ良作。

映画「続 警察日記」を見た。映画マニアを自称する私としては恥ずかしい。実は、この映画の存在を知らなかった。

 

もちろん「警察日記」は見ているし、DVDを買ったくらいである。

 

警察日記

 

だが、「続 警察日記」という映画があることにも気づいていなかった。日本人として本当に恥ずべきである。

 

よくあるように、第二作はつまらない、ならば評価が低いために知名度が低いわかではないのだ。

 

私の率直な感想では、第一作よりも、この「続 警察日記」の方が優れているし、見ごたえ充分である。

 

それなのに、世間ではほとんど知られていないのではないだろうか。

 

こんな隠れ名作を鑑賞できて、私は幸運だった。

 

これも「アマゾンプライム」のおかげである。しかも、年会費内で視聴することができたい。

 

「続 警察日記」(ぞくけいさつにっき)は、1955年(昭和30年)11月16日公開の日本映画である。日活製作・配給。監督は久松静児

 

私が生まれる前の映画である。しかし、こうした映像に、なぜか懐かしさを覚えた。日本人の遺伝子には、「続 警察日記」で描かれた風景と情景が組み込まれているのかもしれない。

 

特筆すべきは、役者たちの素晴らしさだ。昭和は役者の宝庫だとは、私がしばしば指摘するところである。

 

それにしても、芸達者ばかりで、一人ひとりの演技だけを見ていても飽きることがない。

 

前半までは、人情ものの群像劇ぐらいの映画だろうと高をくくっていたのだが、後半から物語はシリアスな方向に急展開を見せる。

 

役者たちの表情が転調し、役者一人ひとりが息をのむほどの輝きを放ち始めた。

 

主演女優は新珠美千代だが、汚れ役を演じ、この映画を心理劇としての価値を高めていたと言えるだろう。

 

新珠美千代は川島雄三監督の「洲崎パラダイス赤信号」で、その類まれな演技力を見せつけたが、この「続 警察日記」でも、微妙な心理の表現は卓越していた。

 

⇒洲崎パラダイス赤信号

 

黒澤明監督の映画「赤ひげ」で好演した、二木てるみ。幼い二木てるみ、その顔のアップの絶妙なタイミング。それだけでも、この「続 警察日記」は映画史上に残るとさえ感じた。

 

これは、まさに隠れ名作である。

 

おそらくは、第一作の「警察日記」には、森繫久彌が主演しているために、有名になっているのだろう。第二作目の主演は伊藤雄之助だから、その差が出ているに違いないが、逆に特別目立つ主演俳優がいないために、出演者全員が助演俳優(あるいは脇役)という感じで、地味だが各々の役者の個性ある演技が光っていた。

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