猶本光(なおもとひかる)の「首振り」に、なでしこジャパンの未来が見えた。

ヤングなでしこ」ことU-20女子日本代表の人気がすごいみたいですね。昨日(2012年8月19日)、W杯の第1戦、メキシコ戦をテレビで見ました。

人気や話題が先行しているという説があるらしいですが、とんでもない、実力もしっかりありました。

メキシコに4対0で快勝したのも立派ですが、個々に光るプレーが続出。選手一人ひとりも、無限の可能性を感じさせ、久しぶりにワクワクしました。ロンドン五輪よりも、個人的には興味深かったです。

これからは、なでしこジャパンだけでなく、「ヤングなでしこ」からも目が離せませんね。

あまりにも、期待できる選手が多すぎるので、今後はシリーズで一人ずつご紹介することに。その第1回目は、ヤングなでしこの美しき司令塔(ボランチ)、猶本光なおもとひかる)です。

猶本光プロフィール

◆生まれ 1994年(平6)3月3日、福岡県。157センチ、50キロ。A型。家族は両親と兄と妹。

◆サッカー歴 のぞみが丘小1年時に兄の影響で、小郡東野少年SCで始める。FCリエートを経て、福岡女学院中に入学後、福岡J・アンクラス入り。下部組織のサテライトとトップチームの二重登録を経て、完全昇格。筑波大へ進学し、今季から浦和レッズレディースへ移籍。

◆好きなもの 食べ物はお好み焼き(チーズ入り)、納豆。

◆過去の習い事 水泳、ピアノ、書道、英会話。(引用元: nikkansports.com)

昨日、初めてじっくりと、 猶本光(なおもとひかる)を見ました。2chでは「すごカワ」「長澤まさみ似」と騒がれているしいのですが、それもあながち誇張ではないと思えるほど、さわやかな笑顔が印象的でした。

猶本光のプレーで一度見たら忘れられないのが「首振り」です。ボールをもらう前に必ず、首を大きく振って、周囲の状況を確認する。だから、ボールを受けた時に、素早く反転し、前方にパスを出せるのです。ただし、この「首振り」は、よほどボールコントロールに自信があり、ルックアッププレー(ボールを見ないでプレーすること)がふつうにできないと、ボールを失ってしまいかねません。

この「首ふり」という言葉は、ヒデこと中田英寿のプレーから、一般的に使われるようになりました。世界的なプレイヤーでは、バルセロナイニエスタも「首振り」がすごい。

猶本光も、本当によく首を振るプレイヤー。ボールを受けてパスを出すまでの動作に無駄がなく、パスも美しい軌道を描いて正確にみかた選手につながってゆく。ポスト澤穂希と期待されるのも素直にうなずけます。

ヤングなでしこは、猶本光のプレーを見ているだけでも、かなり満足できるほど。メキシコ戦では、ビューティフルゴールを決め、美貌だけが売りの選手でないことを証明してくれました。

欠点は、フィジカルが弱いことぐらいでしょうか。それも、これからの実戦とトレーニングの積み重ねで克服してくれると信じています。

猶本光なおもとひかる)の華麗なプレーに、なでしこジャパンの明るい未来が見えました。怪我にだけは気を付けて、順調に伸びて行ってほしい逸材です。

齋藤孝「理想の国語教科書」感想

齋藤孝の「理想の国語教科書」という本を今日、喫茶店で読んでいました。

どういう本かと言いますと、31の名文を選んだ本です。古今東西の選りすぐられた文章ばかりですから、得られるものが多いことは間違いありません。

齋藤孝さんは「話の筋がおもしろいもので、しかも「すごみ」を感じさせ、読む人の『あこがれ』を喚起する文章」という基準から、名文を選んだそうです。

本の帯に「小学三年生から、全世代がくり返し味わいたい『すごみ』のある名文」と書かれています。子供は大人が想像する以上に理解力があるので、こういう本物の文章に接する機会は貴重です。

かといって、子供向けの本かというとそうではなく、むしろ、世の荒波にもまれまくって、古今東西の名文を読むなどという機会から、遠く離れてしまった大人たちへの贈り物だと私は感じました。

B6版という小型本なので、セカンドバッグにも入ります。いつも携帯して、時間がある時に、読むようにしてはいかがでしょうか。スマホをいじっているよりも、ずっと得られるものが多いはずですので(笑)、まずは手に取り、本を開いていただけたらと思います。

最初に紹介される、夏目漱石の「夢十夜」の第一話で、ぜひ、ハマってください。私の場合、一回目は入り込めなかったんですが、二度目に、のめり込み、思わず、動物のように胴震いしてしまったのでした。

「瑠璃色」という美しい日本語に無限の生命力を感じる。

瑠璃」とは、ラピスラズリ(ラピス)という宝石のこと。梵語では「ベイルリ」といい、それに漢字を当てたのが「吠瑠璃」。それが略されて「瑠璃」となったそうです。

 

群青色の顔料は、この瑠璃の粉末から作られていたとか。

 

瑠璃色は深い青色を指すのですが、ラピスという宝石を見たことがないので、どんな色なのかは私にはわかりません。

 

以下は「瑠璃色」という言葉への私的な思い入れとなりまので、どうか、ご容赦ください。

 

ただ「瑠璃色」という言葉から、鮮明に想い浮かぶものがあります。それは真っ青に晴れた空の輝きです。子供の頃、二歳上の兄と並んで観た、深いふかい青色が、私にとっての「瑠璃色」なのです。

 

どうして「青」とか「蒼」とか「藍」とかいう字を当てないかというと、確かな理由があるのです。

 

以下の文章を読んでください。

 

たとえ物の秩序を信じないとしても、僕にとっては、春芽を出したばかりの、粘っこい若葉が尊いのだ。瑠璃色の空が尊いのだ。時々なんのためともわからないで好きになる誰彼の人間が尊いのだ。

 

これはドストエフスキーの長編小説「カラマーゾフの兄弟」の中の一節。アリョーシャとイワンの会話の一部です。岩波文庫の第二巻にで、上の一節は読めます。

 

「瑠璃色」は米川正夫氏の名訳です。これが、他の翻訳者ですと「瑠璃色の空」ではなく「青空」となっていたりします。「青空」では、冷静なイワンが感情を吐露した、その溢れんばかりの激情が読み取れません。「瑠璃色」でなければいけないのです。

 

また「瑠璃色」と表現した方が、文学的な格調があり、何より、言葉として美しいのであります。

 

というわけで「瑠璃」という言葉は、「瑠璃色」を想起させ、その吸い込まれそうなほど透明で深い青空の輝きは、イワンが言ったように、論理を超越した、無限の生命力を感じさせてくれるのです。