今回は峠三吉(とうげさんきち)の「原爆詩集」より「微笑」という詩をご紹介します。

 

微笑

 

あのとき あなたは 微笑した

あの朝以来 敵も味方も 空襲も火も

かかわりを失い

あれほど欲した 砂糖も米も

もう用がなく

人々の ひしめく群の 戦争の囲みの中から爆(は)じけ出された あなた

終戦のしらせを

のこされた唯一の薬のように かけつけて囁いた

わたしにむかい

あなたは 確かに 微笑した

呻(うめ)くこともやめた 蛆(うじ)まみれの体の

睫毛もない 瞼のすきに

人間のわたしを 遠く置き

いとしむように湛(たた)えた

ほほえみの かげ

 

むせぶようにたちこめた膿(うみ)のにおいのなかで

憎むこと 怒ることをも奪われはてた あなたの

にんげんにおくった 最後の微笑

 

そのしずかな微笑は

わたしの内部に切なく装填(そうてん)され

三年 五年 圧力を増し

再びおし返してきた戦争への力と

抵抗を失ってゆく人々にむかい

いま 爆発しそうだ

 

あなたのくれた

その微笑をまで憎悪しそうな 烈しさで

おお いま

爆発しそうだ!

 

峠三吉の「微笑」という詩において、峠三吉が類まれな才能の持ち主であることがわかる一節をあげておきます。

 

睫毛もない 瞼のすきに

人間のわたしを 遠く置き

いとしむように湛えた

ほほえみの かげ

 

「遠く置き」は、なかなか書けない表現です。詩文学としての深まり、広がり、そして格調さえて伝えてくれます。

 

要するに、文学表現には、生の言葉の使用はご法度であり、いかに客観化、普遍化して伝達するかが肝になるということ。

 

峠三吉は、極限状況を体験しながら、表現対象との距離の保ち方、視点の移動を、神的に行っており、その才気は一流だとあえて強調しなくなるのです。

 

さらに、峠三吉の非凡な詩才を証明する一節をもう一ヵ所、引用いたします。

 

むせぶようにたちこめた膿のにおいのなかで

憎むこと 怒ることをも奪われはてた あなたの

にんげんにおくった 最後の微笑

 

そのしずかな微笑は

 

「にんげんにおくった 最後の微笑」の「にんげん」という言葉により、この詩は人類全体に発信することになったのです。

 

⇒峠三吉のプロフィールは、以下のページでご紹介