これまで観た中で、もっとも感動した作品はというと、この映画になるかと思います。
ルキノ・ヴィステコンティ監督の「若者のすべて」。
観終わったあと、魂が灰のようになって、1週間ほど寝込んだ記憶があります。知恵熱のようなものが出て、映画の影響力の凄まじさに降参しました。
あれから、かなりの年月が過ぎましたが、もう一度観ることはできないでいます。
もう一度観るのが怖い、それほど強烈な映画なのです。
今回は、観終わった直後に書いた感想文を転載いたします。
「若者のすべて」
1960年・伊=仏。
監督・脚本:ルキノ・ヴィスコンティ
出演:アラン・ドロン、アニー・ジラルド、レナート・サルヴァトーリ、クラウディア・カルディナーレほか。
(以下、最初に観た当時の感想の転載)
こういう感じを叩きのめされるような衝撃、打ちのめされるようなショックというのだろうか。
今まで見てきた映画、読んできた小説は何だったのだろう、そんなことまで考えてしまう。
原題は「ロッコとその兄弟たち」。
限りなく優しい心を持つ無垢な青年ロッコをアラン・ドランが完璧に演じている。
原題の方がふさわしいと感じた。
テープとDVDが廃盤になっているらしい。信じられないことだ。
これはヴィスコンティが苦手な人も映画の素晴らしさに浸れる名作である。
久しぶりに体が震えるほどの感動を覚えた。今まで見た中でベスト5作に間違いなく入る。
とにかく何もかもが純粋なのだ。
映像、テーマ、役者の演技、音楽、そして監督をはじめ制作スタッフの創作魂など、すべてが気高いのである。
176分という長さをまるで感じさせない。
家族の愛と血、避けられない運命を、気品あるモノクロの映像美で描き切った手腕は冴え渡っている。
アラン・ドロンの表情の変化だけを追っていっても、彼の演技力と監督の演出の卓抜さに驚嘆させられる。
5人の兄弟とその母親が丁寧に描写されているが、何と言っても主人公ロッコの造形が際立っている。
すべてを許してしまうロッコという青年は哀しすぎる。
兄に犯された女と橋上で別れるシーン、彼の表情のアップ、ここぞという時の心理描写には凄まじささえ覚えた。
ロッコは月並みな表現だが、全身に悲愁を帯びた、いわば哀しみの化身である。
邪悪なものを持たない神の子である。
拳闘を嫌い、蝿一匹殺せなかったというキャラは、キリスト教の根付いた国のみが生み出し得るのだろうか。
でも、「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャがそうであるように、日本人である私にもその心情がよく伝わってくる。
母親も好きなキャラクターだ。5人の子供を本能的に愛する典型的な母像だが、喜怒哀楽の激しさ、単純で情け深く、誇りを失わない魂を持つ。
こんな人物を描けたらすばらしい。
人物の描き方には、典型と類型があるのではないか。
典型と類型とは違うと思う。典型は人間の普遍的な性格を持つ人物。エッジが立っていて魅力的。
類型は簡単にグルーピングできるありきたりな性格の人物。
パターン化していてつまらない。
前者は深度と鮮烈な印象を持つ。
古典的な名作と呼ばれる小説や映画はほとんどが人間の典型を描出している…というか創り出している。
ただ典型的な人物を描く場合は、テーマの切実さと掘り下げの深さがないと陳腐極まりないものになってしまう危険性がある。
ドストエフスキーの描いた人物はすべて人間の典型だが、描き方が究極的に激しく真摯なために人の心を撃つのだ。
典型的な人物を描くのは、よほど内的な必然性、強烈な表現欲といったものがない限り、避けて通るべきかもしれない。
60年の作品だが、もっと古い映画のような味わいがある。
人間一人ひとりが貧しいながらも凛とした品格を有している。
激しく、哀しく、けなげに、ひたむきに生きる人間像がここに耀いている。
現代が失ってしまった最も貴い人間の精神が脈打っている…そんなことを強く思った。
ここに描かれた世界と現代に橋を架けるような才能が、出てきて欲しいと切に願う。
それならば、多くの人たちが、再び映画に夢中になるだろうし、映画は娯楽を超えた強烈な影響力を奪還できるに違いない。
イタリアとフランスの合作ということも、この映画の名状しがたい包容力の要因になっていると思われる。
イタリア人の激しい感情吐露とフランス人の冷静な内向性とが融けあい、違和感はない。
この映画に出逢えたことに感謝したい。
観終わって一晩たったが、まだ体と心が灰のようになっている。
(転載はここまで)
新しく出たDVDは購入しました。しかし、まだ開封する勇気が出ません……。