9月26日、伊勢ケ浜部屋で行われた横綱昇進伝達式で、日馬富士は「謹んでお受けします。横綱を自覚して、全身全霊で相撲道に精進します」と口上を述べました。

 

横綱の伝達式では、横綱に昇進する力士が「口上」の中に「四字熟語」を入れることが通例。貴乃花の「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」は有名です。

 

今回、日馬富士の使った「全身全霊(ぜんしんぜんれい)」も、実に印象的でした。

 

この「全身全霊」という言葉、日馬富士のおかげで、にわかに輝きを増している気がします。

 

今の時代、「全身全霊」を自分の生き方を象徴する言葉として使える人は、滅多にいないでしょう。しかし、新横綱となった日馬富士関には、この「全身全霊」という言葉がよく似合います。

 

千秋楽の白鵬との大一番を見終わった時、ひどい脱力感に見舞われ、この数日、いつもとは違う感覚で過ごしています。日馬富士の戦いぶりは、意外にも、私自身に大きな影響を与えているようです。

 

取組後のインタビューで、日馬富士は「自分の力のすべてを絞り出すつもりで、全身全霊で戦うことだけ考えました」という意味のことを語っていました。

 

この「すべての力を絞り出す」という表現も、日馬富士の場合は、決して大げさなものではなく、勝った直後、しばし立ち上がれなかったほど、日馬富士は力を出し切ったのでした。

 

日馬富士はモンゴル人だから、日本人の横綱が出てきてほしいと願うのは当然です。私もそう思っています。

 

でも、日馬富士の相撲を見ていると、もう、国籍とか人種とかは、関係ないもののように感じるのです。

 

「全身全霊」という日本語の素晴らしさ、ふだんの「精進」から、身を持って示してくれたことに感謝したい気持ちでいっぱいです。

 

「全身全霊」は、戦う姿勢をあらわすより、生き方を示す時に、美しさが際立つようです。

 

おそらくは「全身全霊」は流行語大賞はとれないでしょう。しかし、日馬富士が横綱伝達式の口上で「全身全霊」という言葉を使ってくれたおかげで、この言葉の寿命が延びたことは確かです。

 

リアリティが消える時、その言葉は死語となる危機が忍び寄ります。

 

日馬富士は美しい日本語を一つ救済してくれました。「全身全霊」という言葉がふさわしい生き方を示してくれる人が、一人でもいるかぎり、決して死語となることはないのですから。