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カテゴリー:原爆映画

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「純愛物語」は恋愛映画というより人間愛の物語である。

日本映画(邦画) - 原爆映画

映画「純愛物語」は、1957年(昭和32年)10月15日に公開された。

 

この感想文のタイトルに悩んだ。「原爆」という言葉を入れたくなかったので、通常とは異なるタイトルになってしまった。

 

この映画はいわゆる「原爆映画」に分類されるべき作品とは言い難い。なぜなら、主人公と原爆との関係性の描き方が、唐突だからである。

 

もっと必然的に主人公の運命が描かれないと、原爆映画と呼ぶにはふさわしくないだろう。

 

しかし、私はあえてこの「純愛物語」を、原爆映画としてカテゴライズしたいのである。

 

広島に原爆が投下されてから10年ほどが経過したという時代設定である。

 

主人公の中原ひとみは放射能を浴びて10年ほどが経ってから発症する。

 

相手役の江原真二郎は刑務所がえりのチンピラだが、中原ひとみと出逢って、懸命に生きようとする。

 

こう見ると、ありがちな原爆にまつわる恋愛映画だ。

 

だが、私はスルーできずに、こうして感想文を書いている。

 

なぜか?

 

それは監督の今井正の力量が大きいのではないだろうか。

 

映画作品としての品格があるのだ。

 

今井正監督といえば「また逢う日まで」「キクとイサム」「真昼の暗黒」などで知られる、ヒューマニズムの名匠である。

 

表題は「恋愛物語」となってるが、恋愛だけでなく、人間愛の物語である。

 

不幸の時代に生きる純粋な男女を、作者は懸命に応援している、その思いがひしひしと伝わってきて感動するのだ。

 

ひたむきに生き、幸福をつかもうとするが、原爆の放射能を浴びたことによる発症が、未来を塞いでしまった。

 

どうすることもできない、打ち勝てる見込みのない悪魔、それが原爆なのである。

 

映画「地獄の掟に明日はない」は、高倉健・降旗康男コンビの第一作

日本映画(邦画) - 原爆映画

地獄の掟に明日はない」は1966年に公開された日本映画。

 

いわゆる任侠映画だが、主人公を演じる高倉健が、原爆症に苦しむ組員という設定が、単なるハードボイルドの域を超え、人間ドラマとしての色彩を強めている。

 

監督は降旗康男(ふるはたやすお)で、この作品がいわゆる「高倉健・降旗康男コンビ」の第一作目というい記念すべき映画だ。

 

相手役の女優は、十朱幸代(とあけゆきよ)。十朱幸代は昭和を代表する女優だが、まさにこの映画でも典型的な昭和の女性を演じきっている。

 

降旗康男監督の手腕であろう、カメラワークを含めた演出には、余情があり、文学の香りさえ感じられる。

 

舞台は長崎である。繰り返すが、高倉健が原爆症に苦しんでおり、広義の原爆映画だとも言えるだろう。

 

戦争が終わって20年が経過しても、戦争の傷跡は消えていない。高倉健も、十朱幸代も、人生を明るく前向きには生きられないほど、深く傷ついている。

 

二人とも、二人なりに一生懸命に生きてるいるが、生きがい(確かな人生の目的)と言えるほどのものは持っていない。

 

だから、どこかで諦めながら暮らしているし、自暴自棄になりかねない危うさも持っているのだ。

 

そんな二人が出会ったのも、高倉健が原爆症の症状が出て車の運転をあやまり、十朱幸代をはねそうになったことからだった。

 

この出会いの演出はうまい。

 

北方謙三の古いハードボイルド小説を読んでいるようにストーリーは進む。確か、北方謙三の小説に似たような筋書きの作品があった気がする。

 

そして、高倉健は運命を全うするように殺され、十朱幸代は愛する女を待つ薄幸の女を徹しきる。

 

お決まりのパターンだが、降旗康男監督の演出が良いために、安っぽさは感じない。

 

高倉健の良さ、十朱幸代の良さは、充分に描けている。

 

もう少し原爆のことを描いてほしいと思うのだが、そうすると、任侠エンタメ作品としての興行が成り立たない、そういう配慮から、任侠社会の抗争の方を軸にすえたのだろう。

 

いずれにしても、ただのB級作品とし片づけられない、プラスαの魅力をもった映画ではある。

映画「愛と死の記録」は原爆映画の最高峰かもしれない。

日本映画(邦画) - 原爆映画

これまで、原爆をテーマ(題材)とした映画を何作か紹介してまいりました。

 

今回ご紹介する映画「愛と死の記録」も、原爆がテーマとなっています。

 

私がこの「愛と死の記録」を見るのは、おそらくは2回目です。今回見直してみて、驚いたのは、自分がラストシーンを覚えていないことでした。

 

これほど衝撃的な結末を記憶していないのは、どうしたことか?

 

何十年以上も前に見たので、忘れてしまったのか。それとも……。

 

たぶん、いや、きっと、もう一人の私がラストシーンの記憶を消してしまったに違いありません。 続きを読む

映画「長崎の鐘」でしか聴けない、藤山一郎の魂から血が噴き出るような絶唱。

美しい詩 - 日本映画(邦画) - 短歌 - 原爆映画

今日、8月9日は「長崎原爆の日」です。被爆から74回目、令和初となる原爆の日を迎えました。

 

長崎市に原爆が投下されたのは、1945年8月9日、午前11時2分でした。長崎原爆の死没者は計18万2601人にも及んでいます。

 

そこで本日は、大庭秀雄監督の「長崎の鐘」という映画をご紹介しましょう。

 

感動を呼ぶ、永井隆博士の前向きで献身的な生き様

 

「長崎の鐘」は、1950年(昭和25年)9月23日に公開されました。松竹製作・配給。モノクロ、スタンダード、94分。

 

 

戦後、日本人によって原爆をテーマにした初の劇映画です。

 

「長崎の鐘」とは、廃墟となった浦上(うらかみ)天主堂の煉瓦の中から、壊れずに掘り出された鐘のこと。

 

映画は永井隆(ながいたかし)が執筆した随筆「長崎の鐘」が元になっています。

 

この随筆は、長崎医科大学(現長崎大学医学部)助教授だった永井隆が原爆爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、右側頭動脈切断の重症を負いながら被爆者の救護活動に当たる様を記録したもの。

 

1949年(昭和24年)1月、日比谷出版社から出版され、紙不足の当時としては空前のベストセラーとなりました。

 

映画「長崎の鐘」の主人公は永井隆。若原雅夫が演じています。妻役は月丘夢路

 

1950年代は日本映画の全盛期で、数多くの名作がこの時期に生み出されています。

 

この「長崎の鐘」は映画作品として傑作とは言えないかもしれませんが、純度が実に高く、感動できる作品であることは間違いありません。

 

この映画が名作として高く評価されていない理由の一つに、製作された時の特殊な事情が影響しています。

 

1950年といえば、まだGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による厳しい言論統制(検閲)が行われていた不幸な時期です。

 

「長崎の鐘」に反戦色が濃くない、表現に今一つ社会的な踏み込みが浅い、原爆のリアリティが薄い(生々しい描写がない)などの作品としての弱さは、GHQによる検閲の影響があるのは容易に想像できます。

 

この映画で最も感動できるのは、主人公である永井隆博士の真っ直ぐな生き様です。永井隆博士の前向きな姿勢、献身的な行動、人への愛情に、未来への希望と勇気、「なぐさめ」と「はげまし」をもらえます。

 

そして、忘れてはならないのは、映画本編で歌われる「長崎の鐘」の凄まじいいまでの迫力です。

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