Kiroro玉城千春(たましろちはる)が作詞・作曲した「未来へ」をご紹介。

 

未来へ

 

作詞・作曲:玉城千春 歌唱:Kiroro

 

ほら 足元を見てごらん
これがあなたの歩む道
ほら 前を見てごらん
あれがあなたの未来

 

母がくれたたくさんの優しさ
愛を抱いて歩めと繰り返した
あの時はまだ幼くて意味など知らない
そんな私の手を握り

一緒に歩んできた

 

夢はいつも空高くあるから
届かなくて怖いね だけど追い続けるの
自分の物語だからこそ諦めたくない
不安になると手を握り
一緒に歩んできた

 

その優しさを時には嫌がり
離れた母へ素直になれず

 

ほら 足元を見てごらん
これがあなたの歩む道
ほら 前を見てごらん
あれがあなたの未来

 

その優しさを時には嫌がり
離れた母へ素直になれず

 

ほら 足元を見てごらん
これがあなたの歩む道
ほら 前を見てごらん
あれがあなたの未来

 

ほら 足元を見てごらん
これがあなたの歩む道
ほら 前を見てごらん
あれがあなたの未来

未来へ向かって
ゆっくりと歩いて行こう

 

以下、かなり以前に、書いたブログ記事を引用しておきたい。

 

その記事のタイトルは「未来から『未来へ』

 

投稿日時は「2015年3月6日 11:00」となっているが、もっと昔に書いたような気がしている。

 

(以下、引用)

 

景気はいっこうに上向きませんね。実質賃金は下がりつづけているらしい。

 

今でも家計はギリギリなのに、これ以上、収入が減ってしまったらどうなるのか……そんな不安感にさいなまれている方も多いかと思います。

 

現代は、幸福感が薄い時代だとも言われます。

 

どうやら、現代社会の息苦しさの原因は、経済的な低迷だけではなさそうです。

 

不安な時、将来に希望が持てない時、人は幸福ではありえません。

 

では、不安感をぬぐいさり、未来への夢を紡ぐには、どうしたら良いのでしょうか。

 

若者たちは今、得体の知れない閉塞感が苦しんでいると言われます。

 

いえ、毎日暮らすことが、なぜか息苦しい、そう感じているのは、若者だけではないでしょう。

 

せめて、未来への希望が抱けたら、どれほど毎日が楽しくなるか、そう私自身も思うことがあります。

 

う~ん、時代が難しくなってきましたね。

 

先日、ふとしたことで、懐かしい曲を聴きました。Kiroroの「未来へ」。この曲は1998年にヒットしました。

 

不思議です。未来のことを考えはじめると、必ず過去のことが想い浮ぶ。

 

より良い明日を見つけるためには、過去の経験を糧にするしかないからでしょうか。

 

たとえその過去が、苦渋に満ちた記憶であったとしても…。

 

未来へ」を初めて聴いたのは、人があふれ返っている裏通りにある、ディスカウントショップの前だった。

 

隣りがスーパーマーケットなので、通りには、無数の自転車がところ狭しと並んでいる。

 

ルーズソックスを履いた女子高生が、向こう側からやってきて、そのうちの一人が自転車の買い物カゴの中に、ポケットティッシュを無表情な顔で投げ込んで、私のすぐ目の前を通り過ぎて行ったのを、なぜかハッキリと憶えている。

 

今は寂れてしまった、あの街にも当時は人があふれかえっていた。

 

渇いた風に吹かれながら、私もまた得たいの知れない不安を抱き、当てもなく雑踏の中をさまよっていたのだ。

 

その店は屋外にも聞こえるように大音量で、「未来へ」を流していた。

 

私は思わず足をとめ、その曲に聞き入る。

 

冷え切った私の心は、にわかに湯を浴びたように温まって行った。

 

素朴な言葉をまっすぐに歌い上げている、その実直な歌声が、無防備な私の気持ちを一瞬にしてつかんでしまったのでしょう。

 

冷静な時に聞いたら、ひょっとすると、聞き流してしまう曲かもしれません。

 

しかし、なぜか、あの時は、最後のフレーズ「未来へ向かって ゆっくりと歩いてゆこう」が深く心に沁み入りました。

 

現代という時代は、本当に夢のない時代なんでしょうか。

 

時代に夢がないのではなく、夢の抱き方を、人が忘れているだけではないのか、そんなことを、「未来へ」を聴きなおしながら思いました。

 

スイッチを入れ替えるように、ちょっとしたことで、現代に生きる人が夢を抱けるようになる……、そんな簡単なことではないかもしれないけれど、夢を見つけるために努力すれば、道は拓けるような気もします。

 

どこかに置き忘れてしまった大切なものを、まずは探すことから始めればならないのかもしれない。

 

確かに、今は夢を見つけるのは難しい。

 

時代の空気に乗っかって自然に暮らしてゆけば、夢を持てた時代は終わり、夢は自分の意志を持って動き出さないと見えてこない時代になってしまったから。

 

夢は与えられるものではなく、自分で状況判断し、次ぎに自身で意思決定し、そして、行動を起こして始めて、夢を追うことができる……それが、今という時代なのだと思います。

 

だから、苦しいことばかりではなく、自分次第では、道は拓ける。光があふれ、さわやかな風が吹き抜け、温かい人たちの輪ができる場所は、必ず見つかる、そんな予感がしているのです。

 

「未来へ」という歌のとおり、私、風花未来は、ゆっくりと未来へと歩き始めます。

 

(引用は、ここまで)

 

この記事は、私の文章の書き方に関する教材に引用した記憶があるが定かではない。

 

とにかく遠い過去に書いた文章なのだ。しかし、遠い遠い過去のことのようでもあり、ついこの間のことのようにも感じるから不思議である。

 

「時は過ぎ去るのではなく、巡るのである」、とは、名作映画「ジェニイの肖像」の冒頭に出てくる言葉だ。

 

意味深い過去には、何度でも回帰する、回帰して未来を予想しようとする。まるで円を描くように。

 

私がいま提唱している「詩心回帰」では、人生を円を描くように生きる、きっとそのことが人生を良きものにしてくれるだろう、そのことを私は伝えたいのかもしれない。