今回のテーマは「自分と向き合うこと」です。

■良い文章とそうでない文章との違い

よく「美しい文章はどうしたら書けますか?」という意味のご質問をいただきます。

美しい文章は、美しい風景を描写すれば、また、美しい女性を造形すれば、書けるかと言いますと、そうではないのです。

美しい文章には、必ず筆者の内面が反映している。

美しい自然描写を読んだ時に、なぜ感動するかと申しますと、外面である自然と作者の内面である心とが、響き合っているからです。

「風景とは魂の状態のことをいう」という言葉を、ご存知でしょうか。ルソーのこの言葉は、深いのです。

同じ風景を眺めても、その時によって、感じ方がまるで違っているものです。

それは、あなたの心が変化しているからに他なりません。

■内面を見つめることで文章が変わる。

味のある表現、

繊細で震えるような文体、

そっと包み込まれるような言葉の流れ、

そうした文章を書くためには、自分の内面を見つめ、それを文章に反映させる必要があります。

言葉を換えますと、「自分と向き合う」ことが求められます。

多くの人は、自分を正面から見つめることを、苦手としています。

例えば、ブログのテーマを決めようとした時に、簡単に決まるものではなということを、風花は痛感しているのです。

私自身、これまで星の数ほどブログを立ち上げ、挫折を繰り返してきたし、今も失敗することがあるから。

しかし、経験の少ない人は、テーマを決めるために、自分を見つめ直し、過去・現在・未来の自分を、真剣に考えることを「苦しい」と感じるのです。

内面を見つめる自分と向き合うのは、苦しいこと、つまり、一つの「試練」だとも言えるでしょう。 

しかし、この「試練」こそが、将来への「希望」につながる、唯一の道だと、私は思っているのですね。

苦しいかもしれないけれど、「幸福の鍵」を探していることだとわかれば、もう少し、踏みとどまってみようと思うはず。

自分をしっかり凝視しないで、健やかで、平穏な未来など、見えてくるわけがありません。

平和は、内なる静けき戦(いくさ)の後に、やってくるのではないでしょうか。

実は、内面を見つめることは、慣れてくると「試練」ではなく、一種の「快感」「充実」に変わります。

ある作家がカフェの窓際に座って、道ゆく人を眺めながら、新作の文章を紡ぎ出しているとします。

■希望、そして、心の旅へ

その時、作家は、外界と自分の内面を呼応させ、まるで水面に広がる波紋、その微妙な形状を紙に写しとるかのように、心象風景を文章化しているものなのです。

この段階では、内面を見つめることは、「苦悩」でも、「試練」でもなく、「美」の扉を開けること、明日の「希望」を見いだすことに、つながっているわけです。

文章に輝きがほしいと思ったら、情報を事務的に流しているだけでは無理。

内面(心の中)を見つめてください。

忙しいから旅行に行けないと嘆く必要はありません。一日、ほんの数分あれば、心の旅は、充分に味わえますから。

もう、おわかりですね。

良い文書を書くということは、自分の内面を見つめることでもあります。

ですから、文章を書きつづけることで、自己を強くしてゆくこともできるのです。