川崎洋の詩「木」

川崎洋の「」というをご紹介。

 

 

木は遠足に行かない

木はしっこもうんこもしない

木は眠るのも立ったまま

木はくしゃみをしない

木はソフトクリームを食べない

ほんとうは

木は

口笛を吹くのかもしれない

泣くことだってあるかもしれない

一人ごとを言うのかもしれない

 

でも

木は木を切らない

そして

百年も千年も生きる

 

以前、このブログで田村隆一の「木」という詩を取り上げたことがあります。

 

田村隆一の詩「木」

 

また、先日は村野四郎の「樹」という詩をご紹介しました。

 

村野四郎の詩「樹」

 

そして今回は、川崎洋の「木」なんですが、いろんな感じ方、表現の仕方があるものですね。

 

ただ共通点あって、それは「木はすごい、人間はとても木にはかなわない」という思いを、3人の詩には滲み出ていると思います。

 

もう一つの共通点は人間への愛です。木をテーマに詩を書くて、厭世的な作品になってしまう人はまずいないのではないでしょうか。

 

私も木は好きです。木を眺めていると、命に対し、肯定的になれるので、またいつかたっぷりと時間をとって木を眺めに行きたいなあ。

村野四郎の詩「樹」

村野四郎の「」というをご紹介します。

 

 

おまえが入学したときは

まるで かよわい苗木のようだった

枝もなく そして葉もなかった

けれどもきょう おまえを見るとき

大きなおどろきに胸をうたれる

おまえの幹は しっかりとし

さしかわす知恵の枝々

風にそよぐ やわらかい感情の茂り

 

おお この美しい成長はだれがくれた

わたしは おまえといっしょに

このゆたかな恵みに こころから感謝しよう

 

おまえは まだまだ大きくなる

やがて 花をさかせるだろう

梢は空にひろがるだろう

そして 深々とした おまえの茂みは

数しれない小鳥たちの

ねぐらになるだろう

 

おお そのとき 大きな おまえの樹のかげに

どんなに美しい夢を わたしは結ぶだろう

 

村野四郎は、小中学校の校歌の歌詞をたくさん書いています。だからでしょうか、この詩には「教育詩」というふうなニュアンスを感じますね。

 

でも、お説教くさいとか、道徳で子供をしばるようなことはなく、のびのびと育ってほしいという願いが込められていて好感が持てます。

 

村野四郎の詩は以前にも、当ブログでは取り上げていますので、以下から、詩の全文とレビュー記事をお読みいただけたら幸いです。

 

村野四郎の詩「鹿」

川崎洋の詩「いま始まる新しいいま」