島田陽子の詩「うち 知ってんねん」

島田陽子の「うち 知ってんねん」というをご紹介します。島田陽子は有名な女優と同姓同名ですが、別人物です。

 

うち 知ってんねん

 

あの子 かなわんねん

かくれてて おどかしやるし

そうじは なまけやるし

わるさばっかし しやんねん

そやけど

よわい子ォには やさしいねん

うち 知ってんねん

 

あの子 かなわんねん

うちのくつ かくしやるし

ノートは のぞきやるし

わるさばっかし しやんねん

そやけど

ほかの子ォには せえへんねん

うち 知ってんねん

 

そやねん

うちのこと かまいたいねん

うち 知ってんねん

 

こういう状況、こういう心理、よくわかります。この状況と心理を、関西弁で子供がしゃべっている、という表現手法が、ツボにはまっていて、良い意味でビックリしました。

 

これだけ生き生きとした、言語表現は、まぎれもなく「本物の文化」ですね。

 

この一篇だけ読んでも、この島田陽子という詩人のセンスはかなり良いと直感できますね。

 

「うち 知ってんねん」を動画でも解説!

 

島田陽子のプロフィール

 

島田陽子は、1929年6月7日に生まれ、2011年4月18日に死去。11歳から大阪府に住み始めた。豊中高等女学校(現大阪府立桜塚高等学校)卒業。

 

小説からスタートしたが、30歳を過ぎてから童謡や子供向けの詩を書くようになる。

大阪万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」を作詞。

 

童謡詩「ほんまにほんま」(畑中圭一との共作)で第11回日本童謡賞を受賞。

大阪弁にこだわった「ことばあそび」、子供の視点からの社会風刺に、際立った特徴を示した。

 

「大阪ことばは自分の思いを伝えたいとき、共通語で言えないこともすらすら言える」は本人談。

著書に『大阪ことばあそびうた』『続大阪ことばあそびうた』『海のポスト』『帯に恨みは』などがある。

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金子みすゞの詩「四月」

金子みすゞの「四月」というをご紹介します。

 

四月

 

新しいご本、

新しいかばんに。

 

新しい葉っぱ、

新しいえだに。

 

新しいお日さま、

新しい空に。

 

新しい四月、

うれしい四月。

 

いいなぁ、この詩。

 

こういう気持ちを、取り戻したいですね。

 

以下は、倒置法ですね。

 

新しいご本、

新しいかばんに。

 

もしも、以下のように書いたらどうでしょうか。

 

新しいかばんに。

新しいご本、

 

清新さが、やや弱まりますよね。やはり、倒置法によって「新しいご本」を先に言って強調する方が、インパクトがあるし、ときめきの度合いが高まります。

 

3回、倒置法で「ご本」「葉っぱ」「お日さま」を鮮明に打ち出し、そして最後の連で……

 

新しい四月、

うれしい四月。

 

倒置法を使わないこで、リズムが変り、この変化が効いていますよね。

 

「うれしい四月」の最終行は、感動的なほど輝いている。さりげなく書いているようですが、技法が巧みです。

 

以前に私は金子みすゞの「さよなら」という詩のレビューで「金子みすゞは技巧オタクだ」と書きましたが、この「四月」くらいのテクニックは、朝飯前だったんですね。

 

金子みすゞの詩「さよなら」

 

金子みすゞのその他の詩はこちらに

武者小路実篤の詩「一個の人間」

武者小路実篤の「一個の人間」というをご紹介します。

 

【動画】武者小路実篤の詩「一個の人間」は、現代人を原点回帰させ、再出発させる力がある。

 

一個の人間

 

自分は一個の人間でありたい。

誰にも利用されない

誰にも頭をさげない

一個の人間でありたい。

他人を利用したり

他人をいびつにしたりしない

そのかわり自分もいびつにされない。

一個の人間でありたい。

 

自分のもっとも深い泉から

もっとも新鮮な生命の泉をくみとる

一個の人間でありたい。

誰もが見て

これでこそ人間だと思う

一個の人間でありたい。

一個の人間は

一個の人間でいいのではないか

一個の人間

 

独立人同志が

愛しあい、尊敬しあい、力をあわせる。

それは実に美しいことだ。

だが他人を利用して得をしようするものは、いかに醜いか。

その醜さを本当に知るものが一個の人間。

 

「新しき村」とは

 

「新しき村」は、武者小路実篤とその同志により、1918年(大正7年)、宮崎県児湯郡木城町に開村されました。

 

お互いが人間らしく生き、むつみ合い、そしてお互いの個性を尊重し、他人を傷つけることなく、しかも天命を全うすることができる」理想郷を目指して、武者小路実篤らは行動を起こしたのでした。武者小路実篤はこの地に6年ほど暮らし、農業をしながら文筆活動を行ったといわれています。

 

驚くべきは、今もなお、この「新しき村」は「一般財団法人 新しき村」として継承されていること。

 

現代でもしばしば話題になる、自給自足に近い生活を営む共同体なのですが、他の共同体と異なるのは、「心の共同体」でもあることです。

 

つまり、そこには思想があり、哲学があり、確かな価値観があるのです。

 

「新しき村」には精神的なルールがあって、それをあらわす条文のごときものを少し長いのですが、ご紹介しましょう。

 

一、全世界の人間が天命を全うし各個人の内にすむ自我を完全に成長させることを理想とする。

一、その為に、自己を生かす為に他人の自我を害してはいけない。

一、その為に自己を正しく生かすようにする。自分の快楽、幸福、自由の為に他人の天命と正しき要求を害してはいけない。

一、全世界の人間が我等と同一の精神をもち、同一の生活方法をとる事で全世界の人間が同じく義務を果たせ、自由を楽しみ正しく生きられ、天命(個性もふくむ)を全うする道を歩くように心がける。

一、かくの如き生活をしようとするもの、かくの如き生活の可能を信じ全世界の人が實行する事を祈るもの、又は切に望むもの、それは新しき村の会員である、我等の兄弟姉妹である。

一、されば我等は国と国との争い、階級と階級との争いをせずに、正しき生活にすべての人が入る事で、入ろうとすることで、それ等の人が本当に協力する事で、我等の欲する世界が来ることを信じ、又その為に骨折るものである。

 

当時、武者小路実篤が抱いていた、壮大な理想が時を超えて伝わってくるのは、ここで掲げられた理想が、現代社会が求めている要素があるかもしれません。

 

一読した時、けっこう細かいなぁと感じたのですが、私たちの住む社会には、条例・法律などが歴然とあり、それに比べれば、ものすごく大らかだとも言えるでしょう。

 

このルール文を読むと、今回ご紹介した詩「一個の人間」とほぼ同じ思想が語られていることに気づきます。