映画「しあわせはどこに」のラストシーンに深い安堵を覚えた。

映画「しあわせはどこに」は、1956年に公開された。監督は西河克己

 

 

主演の芦川いづみの可憐さが香るような佳作である。

 

芦川いづみのプロフィールを見たら、吉永小百合よりも10歳くらい年上ということだった。

 

そして、夫は俳優の藤竜也である。これも知らなかった。

 

それにしても、日活の男優・女優陣の層の厚さには舌を巻くものがある。戦後日本の最大の娯楽は映画であり、映画の中心の一つに日活があったということだろう。

 

この映画「しあわせはどこに」にだが、中盤を過ぎてからは、ひたする主人公の芦川いづみに幸せになったほしいと願っていた。これはもう、ハッピーエンドにしてくれないと困る、と私の映画鑑賞とは違ったことになってしまったのだ。

 

私の願いはかなった。ラストシーンはいい。坂の下から空に向かって二人が歩いてゆくところを背中から撮っている。

 

白黒映画だから青空の色は見えなかった。だが、きっとさわやかな快晴の空が映されていたことだろう。

「その人は遠く」は、芦川いづみのために作られた映画だと感じる。

その人は遠く」という映画は、1963年に日活から公開された。監督は堀池清。

 

芦川いづみ山内賢泉雅子が出演した、いわゆる日活の青春映画である、と言って片づけられない、特別な魅力がある。

 

映画「その人は遠く」はこちらで視聴可能です

 

時代の空気感、清々しい命の輝きがここにはある。

 

この時代の人には現代人が失ってしまった「清潔感」があった、と改めて感じた。

 

本当にあの時代には、「本当にきれいな女性」がいた、そんな気がする。

 

「本当にきれいな女性」は、現代人にとっては、遠い蜃気楼のような存在なのかもしれない。

 

汚れていないのだ。洪水のような情報に汚染されていない、まっとうで当たり前の日常が息づいている。

 

いい映画だ。2022年という感染症拡大に苦慮する、疲弊した日本に私は生きているが、心底思う、この映画のような日常が素晴らしいと。

 

インターネットも、スマホもない、便利な端末に侵食されていない、普通の暮らしが息づている。

 

それにして、芦川いづみがこれほどの女優だとは今まで気づかなかった。おそらくは、吉永小百合の陰に隠れてしまって見えにくくなっていたのだろう。

 

この映画「その人は遠く」は、芦川いづみのために作られた、あるいは、芦川いづみの魅力を引き出すために撮られた映画とさえ感じるのである。

 

本当に、とりとめのないことしか書けないが、本当にこの映画「その人は遠く」を見て良かったと感じているのである。

 

見終わった後のこの余韻に、じっと浸っていたい。

三好達治の詩「土」

三好達治の「」というをご紹介します。

 

【動画】(朗読と鑑賞)三好達治の詩「土」

 

 

蟻が

蝶の羽をひいて行く

ああ

ヨットのやうだ

 

ルナールの博物誌を想わせる。蝶についてルナールは「博物誌」で次のように書いている。

 

二つ折りの恋文が、花の番地を捜している

 

蟻が蝶の羽を引いてい行くようを「ヨットのようだ」と表現した……これも下手ではない。

 

しかし、今一つのようにも感じる。

 

ところで、この詩には疑問点がある。

 

それはタイトル。

 

どうして「土」なの?

 

「ヨット」でいいんじゃないですか?

 

この詩を探す時に「土」というタイトルを忘れてしまったら、見つかりにくいかもしれない。

 

思いついた詩のタイトルを検索窓に入れても、この詩は出てきそうにない。

 

それくらい「土」というタイトルは、地味すぎるし、同時に奇抜だ。

 

どうやら、この詩は、タイトルと本文を続けて読む、タイトルと本文をワンセットで解釈しないと、三好達治の意図はわからないみたい。

 

蟻という虫は地味であり、地べた、即ち「土」の上を歩くだけで生活している。羽の生えた蟻は別だが、たいていは、羽を蟻は持っていない。

 

しかし、三好達治は、「土」から、一気に「海」の世界へ、蟻とともに私たち読者も、連れて行ってくれる。

 

想像力というのは、本当に素晴らしい。

 

「土」から「海」を生み出してくれた、三好達治のイマジネーションと表現力に「ありがとう!」と言いたい。