立原道造の詩「草に寝て……」

立原道造の「草に寝て……」というをご紹介します。

 

草に寝て……

 

六月の或る日曜日に

 

それは 花にへりどられた 高原の

林のなかの草地であつた 小鳥らの

たのしい唄をくりかへす 美しい声が

まどろんだ耳のそばに きこえてゐた

 

私たちは 山のあちらに

青く 光つてゐる空を

淡く ながれてゆく雲を

ながめてゐた 言葉すくなく

 

──しあはせは どこにある?

山のあちらの あの青い空に そして

その下の ちひさな 見知らない村に

 

私たちの 心は あたたかだつた

山は 優しく 陽にてらされてゐた

希望と夢と 小鳥と花と 私たちの友だちだつた

 

立原道造の詩には珍しく、現実の気配、匂いのする作品だ。

 

それでも、基調は立原セレナーデと呼びたい、夢心地に誘う音楽からは逸脱してはいない。

 

立原道造が好んで使うワードが、ここに集結している。

 

日曜日、花、高原、林、小鳥、唄、山、空、雲、言葉、しあわせ、村、心、陽、希望、夢、友……

 

立原ワード、そのものが「詩」であることに気づく。

 

立原道造のその他の詩はこちらに

 

 

紀伊国屋が見つからず、新宿の街を一時間以上もさまよった。

寒い中、新宿の街を二時間近く歩き回った。

 

道に迷ったのだ。紀伊国屋に行くには東口にでなければいけないのに、西口に出てしまい、迷子状態に。

 

夜で、しかも、新宿はグーグルマップが機能しないことを忘れていた。

 

二十代の頃は、自分の庭のように、というと大げさですが、自由に動き回れたのに、本当に情けない。

 

ようやく待ち合わせの紀伊国屋につき、カフェを探すに苦労し、入ったらすぐに閉店に。

 

コーヒー一杯が、700円もした。

 

もう、新宿駅では乗り換えはしても、降りないかもしれない。

 

よくもまあ、あんほど巨大な迷路を作ったものである。

 

あまりにも、やり過ぎた。

 

人間はどうしてこういう醜いものを作りだすのだろうか。

 

などと嘆いていても仕方がない。

 

気を取り直して、また、明日も、できるかぎり、元気に暮らしたい。

映画「日本列島」の存在をどうして誰も語らないのか?

日本列島」、この映画の存在を初めて知った。1965年の映画だが、もっと古い作品のような感じさえした。

 

 

(昭和三十四年。日本基地のCID(犯罪調査課)のポラック中尉は、一年前のリミット曹長水死事件の謎を追えという特殊命令を下した。日本の警察は殺人事件として捜査を開始したが、米軍が強引に死体を本国に送還し、事故死として処理してしまっていた...)

 

監督は熊井啓(くまい けい)。日本を代表する社会派の映画監督だと評価されている。

 

熊井啓は、1930年6月1日に生まれ、2007年5月23日に、76歳で死去。日本の映画監督。

 

熊井啓監督の映画作品は以下のとおり。

 

帝銀事件 死刑囚(1964年)

日本列島(1965年)モスクワ国際映画祭招待作品

黒部の太陽(1968年)

地の群れ(1970年)ベルリン国際映画祭コンペティション参加

忍ぶ川(1972年)モスクワ国際映画祭コンペティション参加

朝やけの詩(1973年)ベルリン国際映画祭コンペティション参加

サンダカン八番娼館 望郷(1974年)ベルリン国際映画祭コンペティション参加、アカデミー外国語映画賞ノミネート

北の岬(1976年)

お吟さま(1978年)

天平の甍(1980年)

日本の熱い日々 謀殺・下山事件(1981年)ベルリン国際映画祭コンペティション参加

海と毒薬(1986年)ベルリン国際映画祭コンペティション参加

千利休 本覺坊遺文(1989年)ヴェネツィア国際映画祭コンペティション参加
式部物語(1990年)

ひかりごけ(1992年)ベルリン国際映画祭コンペティション参加

深い河(1995年)

愛する(1997年)

日本の黒い夏─冤罪(2001年)ベルリン国際映画祭特別招待

海は見ていた(2002年)

 

主役の捜査員を演じた、宇野重吉の抑えに抑えた演技が渋い。やんちゃな新聞記者役の二谷英明との対照が効いていた。

 

映画の内容はどうか? ネタバレになるので書けない。

 

真の映画とは、かくも凄まじいものなのか。この映画に出逢って良かった。

 

「『もはや戦後ではない』は噓だ。日本はまだ『戦後』が続いているし、独立国にもなっていない。アメリカに支配されたままである。この体制を打ち破らねば、日本人に真の幸せは訪れない」

 

このように言ってしまっては空しいだけだが、熊井啓という名匠が描き出した「日本列島」という映画によって、私たちは魂を揺さぶられ、もっと生きよう、精一杯、ひたむきに生きてみようと思い直すことができる。

 

芦川いづみがラスト近くで見せた表情と叫び、この慟哭の場面、これを見るだけでも価値がある映画だ。

 

格調ある演出が、素晴らしい。ブラック&ホワイトの映像が深く心に沁み入る。

 

刑事に芦川いづみが言うセリフ。

 

諦めてしまっては、いつまでたっても私たちの生活は変りませんわ。私たちはこれから、秋山さんの分まで生きなければ……子供たちといっしょに考えていますわ。どうしたら私たちは本当に幸せになれるのかって

 

2022年という難しい時代に暮らす私たちも、絶対に政治を諦めてはいけない。希望を捨ててはならない。

 

この映画のラストシーン。芦川いづみが、顔を上げ、前を向いて歩いている。生きよう、という明るい凛とした意志が伝わってくる。

 

それにしても、これだけの傑作の存在を、今まで誰も私に教えてくてなかった、そのことを深く怖れる。

 

映画「日本列島」、私は多くの人にこの名作映画をすすめたいと思う。

 

【追記】

 

今日、鑑賞の2回目。最初に見た時以上に感動した。この映画をベストワンに推したいと強く思った。