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    村野四郎の詩「樹」

    村野四郎の「樹」という詩をご紹介します。樹おまえが入学したときはまるでかよわい苗木のようだった枝もなくそして葉もなかったけれどもきょうおまえを見るとき大きなおど ...

    2022/02/04

    美しい詩 - 村野四郎

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    村野四郎の詩「鹿」

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    2020/09/23

    美しい詩 - 村野四郎

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村野四郎の詩「樹」

美しい詩 - 村野四郎

村野四郎の「」というをご紹介します。

 

 

おまえが入学したときは

まるで かよわい苗木のようだった

枝もなく そして葉もなかった

けれどもきょう おまえを見るとき

大きなおどろきに胸をうたれる

おまえの幹は しっかりとし

さしかわす知恵の枝々

風にそよぐ やわらかい感情の茂り

 

おお この美しい成長はだれがくれた

わたしは おまえといっしょに

このゆたかな恵みに こころから感謝しよう

 

おまえは まだまだ大きくなる

やがて 花をさかせるだろう

梢は空にひろがるだろう

そして 深々とした おまえの茂みは

数しれない小鳥たちの

ねぐらになるだろう

 

おお そのとき 大きな おまえの樹のかげに

どんなに美しい夢を わたしは結ぶだろう

 

村野四郎は、小中学校の校歌の歌詞をたくさん書いています。だからでしょうか、この詩には「教育詩」というふうなニュアンスを感じますね。

 

でも、お説教くさいとか、道徳で子供をしばるようなことはなく、のびのびと育ってほしいという願いが込められていて好感が持てます。

 

村野四郎の詩は以前にも、当ブログでは取り上げていますので、以下から、詩の全文とレビュー記事をお読みいただけたら幸いです。

 

村野四郎の詩「鹿」

村野四郎の詩「鹿」

美しい詩 - 村野四郎

私の運営するYouTube「風花未来の詩心チャンネル」の視聴者さんから、ご質問があり、この村野四郎の「鹿」という詩を読み返しました。

 

【動画】(詩の朗読)村野四郎「鹿」

 

さっそく引用してみましょう。

 

鹿

 

鹿は 森のはずれの

夕日の中に じっと立っていた

彼は知っていた

小さい額が狙われているのを

けれども 彼に

どうすることが出来ただろう

彼は すんなり立って

村の方を見ていた

生きる時間が黄金のように光る

彼の棲家である

大きい森の夜を背景にして

 

村野四郎の「鹿」の朗読はこちらに

 

村野四郎のプロフィール

 

村野 四郎(むらの しろう)は、1901年(明治34年)10月7日に生まれ、1975年(昭和50年)3月2日に死去した日本の詩人である。

 

村野四郎の詩は、青春期に少し読んだことがあり、詩集も持っていたが、今は持っていない。つまり、傾倒したことがない詩人なのである。

 

新たに詩集を買い求めようとも思ったが、それはやめることにした。ネットで代表作を探せば、それでいい気がしたから。

 

村野四郎の詩で、今も愛され続けているのは、いわゆる現代詩と呼ばれる、実験的・概念的・難解な作品ではなく、わかりやすい詩であることが注目すべきである。

 

読み継がれ、語り継がれる詩は、例外なくシンプルな作品であろう。

 

「鹿」という詩について

 

「鹿」が登場する文学作品として私がすぐに想起したのは、スティーヴン・キングの「スタンド・バイ・ミー」である。

 

線路を渡ろうとした鹿が立ち止まってこちらを向き、主人公の少年と鹿の目と目が合うとうシーン。

 

このシーンが実に素晴らしくて、何度も読み返した記憶がある。

 

この「スタンド・バイ・ミー」の鹿が登場する場面と、村野四郎の「鹿」とを無意識のうちに比較していた。

 

私としては、圧倒的に「スタンド・バイ・ミー」の方を支持する。なぜなら、命の根源と根源が交信して、生きていることの素晴らしさを全身で感じられるのが「スタンド・バイ・ミー」だからだ。そして、ここには、未来への限りない夢と希望がある。

 

一方、村野四郎の「鹿」は?

 

希望は、ここにはない。あるのは、やがて訪れる「死」に対し、なす術もなく立ち尽くすことしかできない「絶望」だけだ……というふうに私には感じられた。

 

その私の「感じ」によって、この「鹿」という詩作品を規定したり、断定したりする気はないが、私が強く「絶望」を覚えたのは確かである。

 

ただ、「スタンド・バイ・ミー」と比較したために、村野四郎の「鹿」の主題が鮮明に見えた、あくまで私にとってではあるが……。

 

「鹿」は、戦争という無慈悲な、日常生活とはかけはなれた「暗黒」なしには鑑賞できない気も私はしている。

 

あえて戦争という言葉を使わないとしたら、「鹿」に例えられた、人々の日々の暮らしは、残酷な運命という外的に、いつ破壊されるかもわからない。

 

人々はその外的に対して、あまりにも無防備である、鉄砲に狙われても、逃げ出すことさえできない「鹿」のように。

 

「鹿」は絶望の詩ではあるが、明るく強い!

 

時を経て「鹿」を読み返すと、新たな気づきが得られた。

 

絶望は時にポジティブとなり、希望は時にネガティブとなる、そのことに思い当たったのである。

 

それについては、黒田三郎の詩「紙風船」のレビューで語ったので、以下のリンク先でご確認いただきたい。

 

黒田三郎の詩「紙風船」の全文とレビュー

 

村野四郎の詩は他にも以下の作品を当ブログでは取り上げています。

 

村野四郎の詩「樹」

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