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中山靖雄の短歌

中山靖雄という稀有な教育者がおられました。

 

伊勢の父」と呼ばれたそうです。

 

確かに、中山靖雄の言葉を読んでいると、人としての大きさ、その愛の広さと深さが伝わってきます。

 

現在、中山康靖雄の本で、最も手に入りやすいのは「すべては今のためにあったこと」です。

 

【動画】中山靖雄 著「すべては今のためにあったこと」の独自の魅力とは?

 

ただ、今回は中山靖雄の短歌を選んでご紹介しましょう。

 

引用元は「中山靖雄 和歌集 ひもろぎ」です。

 

では、さっそく引用してみます。

 

花のほほえみ 根のいのり

 

中山靖雄はしばしば「根」という言葉を発せられる。

 

通常、人は目に見える華やかな部分にしか注意がいかない。しかし、実は植物の「根」のように、眼に見えない地道ところの営み、そして「祈り」に似た一途な思いが大切なのだ。

 

雲深き

御代に生まれし

君なれど

輝いていけ

木漏れ陽のごと

 

一行目の「雲深き」が実に効いている。

 

その厚い雲を突き破る、若い命の輝きを期待する、中山靖雄の愛の声が聴こえてきそうだ。

 

知ることの深さは 愛することへの道

 

信じること 信じきること 信じ了(おお)すこと

 

この言葉は中山靖雄という人そのものだ。愛と信の人だから。

 

佳き人の

広いお空に 還りゆく

星と輝き

永遠の光に

 

言の葉の 奥に秘めたる

祈りこそ

大和の国の 弥栄(いやさか)の道

 

悠久の 天地を結ぶ いせの道

無限むげんの そこを湧かして

 

天から見れば

 

入江富美子さんの映画のタイトルにもなっている「天から見れば」

 

この視点、この心持ちを失ってはいけない。

 

大空に

母鳥の声

響きあり

そよ吹く風に

ふる里偲(おも)う

 

樹の精の

安らかなれと

祈るかな

万物同根

手をつなぎゆく

 

深い深い祈りが、静かに鳴り響く。

 

天のいと

歓びの筬(おさ)もて

織り上げむ

光綾(ひかりあや)なす

仕合せの色

 

「筬」は織物の縦糸をそろえ横糸を押し詰めて織り目を整えるための、織機の付属具。金属または竹の細い板をくしの歯のように並べて、長方形のわくに入れたもの。

 

約束を 果たして帰る

いのち道

天に棹さす

永遠(えいえん)の道

 

佳き人の 思いに抱かれて

よろこびの 気立ち昇る 天まで届け

 

中山靖雄先生の短歌については動画でもお伝えしています

 

最後に中山靖雄先生が、しばしば紹介される、ある小学一年生の詩と作者不詳の短歌を載せておきますね。

 

貝殻を耳にあてると

海の音が聞こえる

貝は長く海にいたから

海の音がしみ込んだのかな

海は貝に命をやったんやな

 

この貝殻の詩に似た、ジャン・コクトーの「耳」という詩があります。

 

ジャン・コクトーの詩「耳」

 

喜べば  喜びごとが喜んで  喜び集めて  喜びに来る

 

小難しい哲学より、こうした短歌の方が、人が人生を肯定的に生きる素晴らしさを、わかりやすく伝えてくれますよね。

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をさ・はるみの詩「独り言」「ハダカ」は、日本の詩(日本人)はここからやり直せと訴えている……

今回は、をさ・はるみの「独り言」と「ハダカ」というの二篇をご紹介します。

 

【動画】(詩の朗読)をさ・はるみ 「独り言」

 

独り言

 

わたしが わたしに なるために

じんせいの しっぱいも ひつようでした

むだな くろうも ほねおりも

みんな とおとい けいけんでした

わたしが わたしになれた いま

すべて あなたの おかげです

おんじんたちに 掌(て)をあわせ

ありがとう ございましたと ひとりごと

 

この詩を知っている人は多くはないでしょう。私も中山靖雄の「すべては今のためにあったこと」という本で知ったのです。

 

をさ・はるみは、日本近代・現代詩というジャンルから、全くの無縁の人です。

 

をさ・はるみの本名は長田智龍(ながた・ちりゅう)。鯖江市本町の真宗誠照寺派本山・誠照寺の関係者。生年月日は1906年2月24日、没年は不明。

 

亡くなった年もわからないというくらい、無名の、あるいは謎の詩人なのです。

 

まあ、詩人の来歴はわからずとも、詩作品そのものに魅力があればいいわけで、率直に、をさ・はるみの詩は素晴らしいと評価せざるをえない。

 

現代詩が衰弱に衰弱を重ね、ついに絶滅の危機に瀕しているのは、まさに、をさ・はるみの視点を欠いてきたからだ。

 

難解な言葉や自己正当化のための詭弁で自己武装し、自分の卑小さをひた隠しに隠してきた現代詩人たちの愚かさは、万死に値すると言ったら関係者に叱られるだろうか。

 

その一方で、自己の虚飾を捨て、人生の本質を真っ正直にとらえた、をさ・はるみの詩の何と輝いていることか。

 

「これが、詩だ」というか、ここから再出発する時「詩は、よみがえる」と言いたい。

 

次にご紹介する、をさ・はるみの「ハダカ」という詩は、まさに日本の詩は、いや日本人は、ここから「やりなおす」べきだと思うのである。

 

ハダカ

 

ハダカニナラネバ

人間ノカナシサガ ワカラナイ

ハダカニナルト

人間ノアリガタサガ 身ニシミル

ハダカノヒトニハ

畠ノ土クレモ 尊クオガメル

ハダカノ ヨロコビハ

ハダカニナラナキヤ ワカラナイ

 

をさ・はるみの詩は、今の日本人に「このままでは日本は滅びます。日本人の心を、いや人らしい真っ当な心を取り戻しましょう」と訴えている、そう思えてならない。

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映画「1/4の奇跡~本当のことだから~」は、視聴者に渡された未来へのバトンである。

1/4の奇跡~本当のことだから~」という映画をご存じだろうか。

 

この映画の主人公である山元加津子さんは、特別支援学校(養護学校)の教諭を30年以上つとめた方である。

 

「1/4の奇跡~本当のことだから~」は、自主制作映画であり、自主上映映画だったが、現在は、インターネットで鑑賞できる。

 

⇒「1/4の奇跡~本当のことだから~」のネットでの鑑賞はこちらへ

 

まずは個人的な印象から

 

私個人としては好きな映画で、特にラスト5分間は私にとって「ツボ」となっている。

 

私はこの映画の音楽は(ごく自然にお気に入りという意味で)好みだが、この映画は音楽が生命線となっていることに、ある時、ふと気づいた。ヴォーカルを含め、この音楽が合わないという人は苦しいかもしれない。

 

音楽の話はともかく、全くもって、私はこの映画に関しては、ミーハーな愛好家だ。あまり深く分析とかはしていないし、映画中で語られる「1/4の理論」が正当か否かにも興味がない。

 

「すべて大丈夫」という究極の人生肯定を、訴えることがこの映画のテーマであり、そのメッセージを充足させる材料の集まりがドキュメントとなっている。

 

「すべて大丈夫」というメッセージは、制作者の確固たる信念というよりも、映画中に登場される中山靖雄氏のいう「声かけ」としての言葉であり、「祈り」なのだ。

 

中山靖雄氏の著書について動画で語らせていただきました。

 

だから、「すべて大丈夫」という言葉の論理的な整合性に言及するのは、その人の自由だが、映画の意図とはずれてしまうことになる。

 

繰り返す。「すべて大丈夫」は「声かけ」であり「祈り」であり、教義として、唯一無二の真実として視聴者に押し付けているのでもない。

 

だとすると、この映画はたいへんインパクトがあり、際立っている「1/4の奇跡」というタイトルは誤解(反発)を招きかねないという視点からすれば、以下のように変更すべきかもしれない。

 

Everything is ok!(すべて大丈夫)

 

これでは、意外性も衝撃度も弱く、集客的に難しいのだろうか…… この記事の続きを読む