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言葉には三神が宿る。

今回語るのは私の自説です。私は最近、「言葉に三神が宿る」と強く実感しています。

 

言葉に宿る三神とは以下のとおり。

 

 

守り神(守護神)

福の神(幸運の女神)

希望の神(創造の神)

 

 

では、以下、それぞれをご説明しましょう。

 

守り神(守護神)

 

言葉が自分を守ってくれると私は信じています。なぜなら、何度となく私は言葉の力によって守られてきたと実感しているから。

 

言葉がさまざまな形で自分を救ってくれました。

 

例えば、絶望の極みにある時、言葉で自分の思いを表現したら、永遠に消えないと思われた哀しみは、確かな形となって、逆に私を「あるがままに生きよ」と励ましてくれたのです。

 

また、自分の進むべき道はどちなのかと悩んでいる時、言葉と深くかかわってきたことで、物事、事象の本質・確信をつかむ力が養われていて、魅惑的ともとれる邪説に従わずに済みました。

 

福の神(幸運の女神)

 

言葉の力で運命は変えられると私は信じています。

 

日本には「言霊」という言葉が古くからあり、要するに、自分が言ったことは現実に起きる、ということです。

 

つまり、悪いことを言っていれば、悪いことが起こる。良いことを言っていれば、良いことが起こるのです。

 

それについては、他の記事で詳しく語っておりますので、ご覧ください。

 

幸運を引き寄せるポジティブ言葉ベスト50

 

運気を下げるネガティブ言葉ワースト30

 

希望の神(創造の神)

 

言葉は希望の神であり、また創造の神でもあります。

 

幸せを育む未来をつくるためには、思索(考えること)が不可欠。人は考える時には、言葉でするのです。

 

言葉で考え、言葉で案出するしか、生産的な未来は創造できません。

 

以上の意味から、希望あふれる未来を創造するには、言葉は欠かせないと同時に、希望あふれる未来を創造する神であると言えます。

映画「霧の旗」は山田洋次監督の異色の名作。

最近、見たい映画が見つかりにくく、まずは山田洋次監督の作品を探してみる習慣になっている。

 

今回は、かなり前に鑑賞したことがある「霧の旗」という映画を見てみた。

 

「霧の旗」は、1965年5月28日公開の日本映画。主演は倍賞千恵子。新珠三千代、滝沢修が、確かな存在感を示している。

 

この「霧の旗」という映画を語る場合、原作となった松本清張の同名の小説に触れたいのだが、未読である。

 

それよりも何よりも、この「霧の旗」は、山田洋次らしくない作品であることを、まず指摘しなければならない。

 

山田洋次は喜劇が得意な映画監督である。シリアスな作品もあるが、「幸せの黄色いハンカチ」を生むまでは、それほど惹かれるものはない。「家族」「故郷」は山田洋次の代表作(佳作)ではあるが、真面目すぎて面白くない。

 

ところが、この「霧の旗」は喜劇ではないのに、実に面白いのである。

 

もちろん、松本清張の原作が面白いからだろうが、こういう復讐劇を山田洋次が監督したことが、ちょっと信じられないのである。

 

しかし、山田洋次がかつて野村芳太郎監督の助監督だったことを知ると、納得できた。

 

野村芳太郎監督はさかんに松本清張の小説を映画化した人だからだ。

 

しかし、こうしたサスペンスを山田洋次は、他に監督していないと思う。やはり、本来の山田洋次節とは違うのである。

 

それにしても、自分の得意分野でないにも関わらず、これだけの完成度を示すとは、山田洋次の監督としての手腕は半端ではない。

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動画より言葉を。断食するように映像を絶つと決めた深い理由。

●突然、私の眼が、悲鳴を上げ、激しくSOSを発信!

 

実は、正月明けから、眼が痛くて、Web作業が困難になっています。

 

目薬を変えてみたり、休憩時間を長くしたり、いろいろやっているのですが、改善されません。

 

そこで、これはもう、私自身、何十年も続いてきた、一つの習慣を手放すしかないと、腹をくくりました。

 

それは、映画を一切見ないこと

 

さらには、映画だけでなく、動画そのものを、極力見ないことにしました。

 

これは私にとって決して大げさではなく、「緊急避難宣言」なのです。

 

●映像大好き人間が、映像から離れる決心をした、深刻な理由とは?

 

以下の5つの理由が、映像断ちを私に決意させました。

 

1)眼が痛い。

 

2)本を読む時間がなかなかとれない

 

3)映画は動体視力を使うので、眼への負担が大きすぎる

 

4)これからの時代は映像ではなく、「言葉の時代」になるから徹底的に「言葉の世界」に専心すれば、時代のニーズにも応えられるし、自分の成長につながる。

 

5)「言葉のオーラ」は映像のオーラの数百倍はあり、とてつもなく深い快感が得られると、最近になって強く実感している。

 

以上の5つの理由から、映像など見ている時間はないので、本を読み、言葉の世界に浸りきる決意をした次第です。

 

●政府の5G促進計画は、人の人間らしさを抹殺する恐怖政策。

 

5Gの時代の到来は、動画によって、国民が痴呆化され、一部の支配者に洗脳コントロールされてしまう、危険なエポック(起点)になると私は激しく警戒しています。

 

動画による暴力革命」と呼んでも、差し支えないほどです。

 

スマホの普及によって、すでに十二分に私たちは「人間らしさ」をそぎ落とされているのに、5Gの時代になり、ますます、私たちは「本来の自分自身でいられる時間」を奪い取られてしまうでしょう。

 

ですから、まだ本格始動していない、今のうちから、動画から距離をとり、生活の主要部分から、動画を切り離しておくべき。

そうした精神的な防御策と生活習慣における予防措置をこうじておかないと、それこそ、「動画漬けの生活」にされ、「人らしさの消去」を音もなく完了されてしまいかねません。

 

国際金融資本家・政治家・大企業・マスコミなどは、国民に「人らしく豊かに暮らしてほしい」などとは露ほども願っていません。

 

ただ、見せかけだけの便利さに溺れ、定期的にお金を払ってくれればいい割り切っているだけのことです。

 

●断食するように動画を絶つ暮らしへ

 

断食するように映像を絶ち、言葉だけを食べて(糧として)生きる、それが私の「緊急避難宣言」にほかなりません。

 

「言葉の力」を養わないと、これからの時代は生き残れません。

 

逆に、5G時代の「一億総動画漬け政策」により、ほとんどの人たちが「言葉」の本来の力を見失い、「言葉」で訴えることができなります。

 

そういう嘆かわしい時代にあって、「言葉の力」を存分に活用できれば、こざかしいテクニックなど使わなくても、さりげなく、凛として、自分らしさを伸ばしてゆけるのです。

 

●具体的な生活習慣の変更案

 

1)外出時にスマホを携帯しない。

 

2)自宅にいる時は、仕事する以外には、パソコンのスイッチを入れない。

 

3)愛読書を常に手元におき、繰り返し読む。

 

いかがでしょうか? 極端すぎると感じられたでしょうか?

 

何十年も映像漬け生活を送ってきた私なので、こうした一大決心をしないかぎり、映像から言葉への完全移行はできないと思っているのです。

 

では、これから、文庫本を持って、散歩に出かけてます。