「姑息(こそく)」の意味を、71%の人が「ひきょうな」という意味に誤用

2011年9月15日に文化庁が発表した国語に関する世論調査で興味深い結果が出ていました。

 

姑息こそく)」の意味を、71%の人が「ひきょうな」という意味に間違えて使っていたというから驚きです。

 

「姑息」の正確な意味は以下のとおりです。引用元は「Weblio 辞書」。

 

 

姑息

 

読み方:こそく

 

〔「姑」はしばらく、「息」はやむ意〕根本的に解決するのではなく、一時の間に合わせにする・こと(さま)。

一時的に対応するさま。しばらくの間だけもたせる様子。間に合わせ。医療などで根本的治療にはならない対処を「姑息的治療」といったり。古い習慣を改善せずにだましだまし物事を行うさまを「因循姑息」といったりする。

 

また、「声を荒(あら)らげる」という慣用句を「荒(あ)らげる」と間違えている人は80%にも達していたそうです。さらには、することや話題がなくなって時間を持て余すことを「間が持てない」と正解したのは29%で、「間が持たない」と間違った人は61%という結果が出ていました。

 

その一方で、「言葉遣いに関心がある」と答えた人は81%にも達しており、言葉への関心が強いことは間違いないようです。

 

「姑息(こそく)」の意味を間違えて使っている人は多いと思うので、この機会に気をつけたいものです。

 

意味を間違えやすい言葉の中に「情けは人のためならず」があります。

 

 

×情けをかけても結局はその人のためにならない

〇人に情けをかけると結局は自分のためになる

 

 

今回の記事の続きはこちらに⇒間違いやすい慣用句・用語

浜松には樹木の見える風景がない。

生まれ故郷である浜松市に戻ったのは、一昨年の2月だったと思います。

幼い頃には緑に恵まれた町だという印象が強かったのですが、その緑のほとんどが田んぼだったことに今になって気づきました。

私は浜松市中区領家に住んでいるのですが、多くの田んぼは住宅地に変貌してしまったので、風景としては、実に殺風景なのです。

浜松という街は、戦後、ほとんど植樹をしてこなかったことが、怖いほどよくわかります。

街の風景というものは、林とか森と組み合わさって、調和のとれるものです。それが、車道が東西南北に走り、道路の間に宅地が広がっているだけでは、それはもう風景とは言えません。

背の高い街路樹のある歩道があれば、街に風情が生まれます。樹木が街の歴史を語り、季節ごとに風景を変化させるので、人の心も潤うのです。

だいたい、浜松には、人が歩くための道などほとんどありません。多くの地方都市は同じかもしれませんが、車道の隅を歩かなければいけないので、雨の日などは、とても外出する気分になれないほどです。

まあ、私自身、車を運転しないので、こんなことを痛感しているのかもしれません。

浜松は車社会だから、車を中心に暮らしていないと、疎外感を覚えるのでしょうか。

文化不毛の地とは言いたくはありませんが、木を植えて育てるという発想のない街に、何だか肌寒さを覚えるのです。

もう、箱ものは要りません。ビルや大規模なショッピングセンターなど、建てて欲しくない。樹木を植え、人が風景を楽しみながら散歩できる歩道をつくってほしいと切に願っているのは、私だけなのでしょうか。

なでしこジャパンが五輪予選で大苦戦した原因

なでしこジャパンロンドン五輪への出場が決定しましたね。もちろん、テレビ放送は全試合フルタイム見ていますが、FIFA女子ワールドカップドイツ2011(ドイツW杯)で活躍した同じチームとは思えないほど、苦戦の連続でした。

思うに、あのドイツW杯での感動をもう一度期待するほうが、無理なのかもしれません。なぜなら、なでしこジャパンのW杯優勝は、長い日本スポーツ史をひも解いても、おそらくは東京オリンピックで「東洋の魔女」と恐れられた日本女子バレーボールチームが優勝したのと同じくらいの大事件なのだから。

そうした大きな感動を、何度も期待されては、なでしこジャパンのメンバーが気の毒と言うべきかもしれません。

と言いつつも、まだまだ応援してゆきたいので……ロンドン五輪予選はあと1試合残っていますが、これまでのなでしこジャパンの戦いを振り返ってみたいと思います。

もともと快勝の連続など、期待はしていません。しかし、試合内容が悪すぎますね。

苦戦の原因は、以下のことが考えられます。

1)W杯後にマスコミからの取材攻勢などがあり、多忙を極めていて疲れがとれなかった。

2)疲労のためにコンディションが悪く、試合での運動量が減り、体のキレも悪くなった。

3)ドイツW杯での優勝で達成感があり、五輪へ向けてのモチベーションが今一つ高まらなかった。

4)他チームがなでしこジャパンを徹底的に研究してきて、良さを消されてしまった。

5)グラウンドコンディションが悪く、得意とするパスサッカーが展開できなかった。

その他には、メンタル面での変化も大きかったと思います。これまでは、世間から大した注目もされず、ある意味、気楽に思い切って戦えたのですが、W杯優勝で環境が激変。無欲の勝利から、今度は勝利への責任を負わされた、そのプレッシャーも大きかったのではないでしょうか。

正直、試合そのものは、夢中になって見られるほどの魅力はありませんでした。

得られたのは、五輪の出場権と、「よい準備をしなければ痛い目にあうという教訓」だけ。

ドイツでの輝きは、完全に消えていました。

雑草集団ならではの「ハングリーさ」も「ひたむきさ」も影をひそめ、受け身にまわった試合展開は、王者の風格も感じられません。

また、なでしこジャパンが世界の度肝をぬいた、あの華麗なパスサッカーも見られず、ストレスがたまるばかりです。

もちろん、ロンドン五輪までには時間もあり、本番のピッチコンディションは良いので、なでしこジャパンは活躍してくれるでしょう。

しかし、このままだと、良くてベスト8くらいなのではと、期待を下方修正せざるをえません。

選手の平均年齢も高くて、若手の有望選手が育っているのかも不安です。

五輪で優勝してほしいという気持ちはもちろんありますが、それよりも「なでしこジャッパンらしいサッカー」を徹底的に展開してもらいたい。

私たちが、なでしこに感動したのは、雑草のような「たくましさ」と「潔さ」でした。日本人が忘れていた「ひさむきさ」と「さわやかさ」が、なでしこにはありました。

王者になった以上は、もう一度ハングリーには戻れないかもしれません。ならば、バルセロナ風パスサッカー、いや、日本人にしかできないサッカーの完成を目指すべきだと思います。

バルセロナのポゼッションサッカーの基本にあるのは、高い個人技はもちろんですが、選手たちの個々の運動量をベースにした激しいプレスがあります。

ボールをとられたら、すぐに奪い返し、ボールを持ったら、なかなかとられないポゼッションサッカーは、選手の動きの質と量が求められるのです。

なでしこジャパンが華麗さを取り戻すには、良いグランドで試合することではなく、相手に決して走り負けないこと、つまり運度量を増やせる体力の強化が求められているのです。

周囲の関係者たちは、金銭的な援助だけでなく、人材育成を含めた長期的プランを今すぐ作成すべきです。そうしないと、なでしこジャパンブームはまたたく間に去り、ファン離れの危機が訪れるのは、そう遠いことではないでしょう。

栄光の後には長い低迷期が続くという、日本のスポーツ界の悪しき伝統は断ち切ってほしいのです。