増村保造監督の映画「好色一代男」を鑑賞。増村映画は全作見てやろうと思い立って、その世界に没入した時期が私にはかつてあった。
しかし、なぜか「好色一代男」は未見だった。私はシリアスな悲劇を好む傾向が強いためだろうか。
映画「好色一代男」(こうしょくいちだいおとこ)は、1961年(昭和36年)に公開された日本映画である。
主演は市川雷蔵。
若尾文子はラスト10分ほど、友情出演のような感じで登場する。若尾文子はこの映画では、決して市川雷蔵の相手役という位置づけではないので、鑑賞前に知っておくべきかもしれない。
今回、初めて鑑賞したが、いわゆる「増村節」のこぶし回し(独特の美意識による演出)が凄まじく、増村保造監督の愛好者ならば必見の価値ありだ。
しかし、増村監督の思い込みや趣味が(本来は芸術に必須の抑制と均衡は破ら得れていて)露骨に出ており、普遍的な価値をどれだけ表出し得ているのかは、はなはだ疑問である。
そもそも、増村保造監督は「普遍的な女性像」は描いてはいない。
他の監督では描き得ない、独自の女性像を描いたが、そこには独断の偏見が満ち満ちていて、「増村さん、あなたは、本当に女性というものを知っているんですか?」と突っ込みを入れたくなる時がある。
女性像がデフォルメされすぎており、時にその露骨な表現は「幼稚」だと感じざるを得ない。
で、私の好みから言えば、面白かったし、充分に楽しめた。
他の増村作品と比べれば、完成度は低いが、この「ハチャメチャさぶり」も、増村節の真骨頂なのである。
それにしても、主演の市川雷蔵、その芸幅の広さには舌を巻かずにはおれない。