「世界一美しい手紙文」というタイトルをつけましたが、言い換えれば「最高に心のこもった手紙」となります。しかし、その程度の賛辞では言い表せないほど、素晴らしい手紙文をご紹介します。
正確に申しますと、手紙ではなく、電報です。
電報には、実に名文が多いのをご存知でしょうか。
今回ご紹介するのは、その中でも、特に感動的な電報文。妻から夫に宛てた手紙の傑作として知られています。
南極にいる探検隊員のところに、ある日、一通の電報が届きました。
その電報に書かれていたのは、たったの三文字でした。
「アナタ」
これだけだったのです。
それを見た隊員たちの間から、どよめきが起きたそうです。
私も、この「アナタ」という、わずか三文字の言葉を読んだ時、思わず落涙してしまいました。というか、号泣してしまいそうで、それを抑えるのに大変でした。
「アナタ」
この言葉は、何と素晴らしいのだろう。
これほど、想像力をかりたてられる言葉を、今まで見たことがない。
三文字には、様々な思いがこめられているでしょう。
「あなた、お体はだいじょうぶ」「食べ物はどうしていますか」「辛いことはないですか」「事故とかは、ないでしょうね」「子供たちは、元気ですよ」「下の子は、歩けるようになりました」「私は寂しい時もあるけれど……」
語りかけたい言葉は、聞いてほしい思いは、山ほどあるのに、書いた言葉は「アナタ」だけ。愛情がほとばしっているから、思いが激し過ぎるから、言葉が出てこなかったのかもしれない。やっと突き上げてきた言葉は、「アナタ」だけだった。
妻の胸中にある、いろいろな思いが「アナタ」という三文字に凝縮されているのです。いえ、結晶しているといった方が適切でしょうか。
涙をふいた後に、私はふと思いました。
「この電報文から、何を学びとったら良いのだろうか」
言葉から深い感銘を受ける時、言葉の修辞学や技巧に感動しているのではなく、やはり、言葉を発している人の思いに揺り動かされているのだと思います。
良い文章(言葉)は、相手を思いやる気持ちが生み出す場合が多いということ。
文章術の基本で「読者への配慮」をあげますが、人が人として抱きうる、もっとも深くて純粋な思いやりが、先ほどご紹介した電報文にはこめられていると言えるのではないでしょうか。
文章作法の見地からですと、余計な形容詞や修飾語は使わないことはもちろんですが、「思い」を深く、激しく、純粋に保つことが、言葉に真実の力を持たせる最善の道であると言えます。
その意味で「アナタ」ほど、純度の高い言葉はありません。
最近、私がたびたび思うのは、「愛情から生まれ出たものは美しい」ということ。「愛情」を「優しさ」と置き換えていただいても良いかと思います。
ただし、本当に愛情や優しさから生み出されているものは、それほど多くはありません。というか、見つけにくいのです。
ものの価値を判断する時、「これは人への愛情(優しさ)から生み出されたものなのかどうか」という基準を定めれば、洪水のような情報にも振り回されなくなるのではと考えています。
言葉も、同じ。
文章を書く時の基本に、本物の愛情や優しさをすえたいと、自分自身に言い聞かせているところです。
「美しい言葉」「美しい日本語」も、言葉や言語が独立してあるのではなく、それは人間が生み出したものであること。
人の美しい心が消滅すれば、「美しい言葉」も、この世から消え去ってしまうのです。
そんなことがないために、少しずつ、言葉の原点、心の根っ子を見つめ直してゆきましょう。
私も涙が出そうでした。言葉の奥深さに気づけました。ありがとうございます。
涙が溢れました。
妻が「アナタ」と呼ぶ唯一の人、夫が側に居らず「アナタ」と呼ぶことがない日々。
せめて文章の中だけでもアナタを呼びたい、そんな夫不在の寂しさと、それに比例した愛の感情剥き出しの言葉のように受け止めました。
私は夫が居る女性です。
深い感銘をうけました。