第一次世界大戦後、フランスのパリで起きた、小さな出来事をご紹介しましょう。

当時のパリはかなり悲惨な状況だったらしい。ついこの間までは、かなり高い身分の人たちまでもが、乞食のようになって、街に群生したといいます。

ある日の夕方、フランスの良家の娘が三人、パリの四つ角を通りかかったおりました。まだ、12~13歳くらいの娘たちです。

すると、片足の不自由な乞食が、娘たちに物乞いをしました。一人目の娘は一枚の銅貨を、二人目の娘は一枚の銀貨を、乞食に与えました。

ところが、3人目の娘は、もじもじと困った顔をしています。小さな手でポケットをさぐったり、押さえたりしてはみたものの、実は与える物は、何一つも持っていなかったのです。

その娘は何を思い立ったか、乞食の前に歩み寄ってゆきました。そしていきなり、老いさらばえた乞食の垢だらけの顔に、自分の顔を寄せて、その頬に接吻したのです。キスを与えたのです。

びっくりした老乞食の瞳は、その美しい娘を穴のあくほど見つめていましたが、老いくぼんだ顔は歓びに薄紅に染まり、目にはいっぱいの涙がたまっていました。

「ああ、お嬢さん、ちょっと待ってください」と、突然この老人は、足を引きずりながら向こう側にあるデパートの入り口に駆け出してゆきました。

そこには、花売りが立っていたのです。老乞食は、たった今、二人の娘からもらったばかりのお金を、すべて花売りにはらって、数ある花々の中でも、高価な香水薔薇を一輪買って、もどってくるなり、3人目の娘の前にひざまずいて「お嬢さん、これを受け取ってください」と娘の胸に薔薇の花をさしてやったのでした。

この話を、吉川英治は昭和21年に、日比谷公会堂でしています。第二次世界大戦が終わったのが昭和20年ですから、戦後まもない頃ですよね。

「色は匂へど」という講演筆記では、パリのことだけでなく、戦後の日本のエピソードも紹介されています。吉川英治は、戦後の日本が復興したのは、政治の力というよりも、庶民生活の底に流れている、相互扶助の賜物だと言い切っていました。

また、先ほどのパリの挿話の最後に「これが相互愛の発露です」と述べております。

相互扶助の精神とか、相互愛と申しますと、大震災後のボランティアさんたちの活躍が思い起こされますよね。助け合いの精神は今も息づいているのでしょうけれど、それを発露する機会が極めて少ないのだと思います。

しかしながら、日本の政治は相変わらず、経済いっぺんとうにかたより、国民の精神を空洞化させようと必死になっているような気さえします。

では、インターネットの世界はどうか? これからは、質の時代に入ると思っています。そして、人と人との健全な関係性を築いてゆくために、インターネットが今後は活用されてゆくと信じています。というか、そうしなければいけないと強く思うのであります。