映画「おゆきさん」は、笠智衆と和泉雅子が演じる『父娘像』が珠玉

永遠の父と娘の姿といえば、小津安二郎監督の「晩春」を想起するが、今日ご紹介する映画では、もう一つの素晴らしい父娘像が描きだされています。

 

その映画は「おゆきさん」。1966年に日活から公開されました。

 

おゆきさん

 

主演は和泉雅子笠智衆。原節子ではなく、和泉雅子なのです。

 

監督:鍛冶昇

画:坂上静翁

原作:塩田良平(雪華社、光風社刊「おゆき」より)

脚本:倉本聰

 

1966年、東京五輪が終わって2年目の日本に、こういう映画が生まれていたとは、心が幾分かは救われた気がしました。

 

お手伝いさんとして住み込んだ、ゆきこと言う娘とその家の主人との心の触れ合いを描いています。

 

「おゆきは、今の人間じゃない、(今の時代が)忘れられてしまったものを持っている素晴らしい娘なんだ。あの娘は花なんじゃよ」という意味のことを笠智衆が、おゆきを好きだった(ふられてしまった)青年に酔っぱらって言うのです。

 

古き良き時代のヒューマンホームドラマですが、和泉雅子と笠智衆の魅力が存分に描かれている点において、極めて貴重な映画だと思うのであります。

映画「四つの恋の物語」では十朱幸代と芦川いづみが光っている。

映画「四つの恋の物語」は、1965年という日本の高度成長期に公開された、いわゆる「日活の青春映画」ということになっている。

 

 

吉永・芦川・和泉・十朱の日活4女優が4姉妹を演じる豪華青春超大作」と、NHKスクエアでも紹介されているくらいだ。

 

しかし、本当にそうだろうか?

 

単なる青春映画を超えた「何か」を私は感じるのである。

 

監督に注目していただきたい。私のブログでも以下の2作を取り上げている、西河克己監督である。

 

生きとし生けるもの(1955年)

 

しあわせはどこに(1956年)

 

以上の2作はいずれも、文芸作品の趣きさえ感じ取れる。

 

「四つの恋の物語」も、心理描写が細やかなで、青春映画というより、群像心理劇と私は呼びたい。

 

本来ならば、吉永小百合が主演と言いたいところだが、芦川いづみ十朱幸代の方に、私は感情移入できた。

 

和泉雅子は完全な脇役あつかいだが、欠かせない存在となっていることは書き添えておきたい。

映画「生きとし生けるもの」は、一度は観てほしい人間成長劇。

生きとし生けるもの」は、1955年に公開された西河克己監督の日本映画である。

 

原作は1926年朝日新聞に連載された、山本有三の未完の同名小説。

 

映画「生きとし生けるもの」はこちらで視聴可能です

 

恋愛を織り交ぜたヒューマンドラマなのかなと思って観ていたが、後半から終盤にかけて、凄い映画になってくる。

 

これはもう、名作映画として賞賛するしかない、と観念した。というか、こういう映画を名作として語り継ぐべきである。

 

主な出演者は以下のとおり。豪華キャストである。

 

三國連太郎 - 伊佐早靖一郎

南寿美子 - 菅沼民子

山村聡 - 曾根周作

山内明 - 曾根夏樹

東谷暎子 - 香取あき子

轟夕起子 - 南ゆき子

三島耕 - 伊佐早令二

村瀬幸子 - 母さと

北原三枝 - 八代恵美

笠智衆 - 遠藤老人

 

主演は三國連太郎と南寿美子だ。前半は恋愛映画だが、後半は人間成長劇となっている。

 

山村聡笠智衆が効いていた。この二人がいなければ、この映画は成立しない。

 

もちろん、主演の三國連太郎の演技力は大したものだし、相手役の南寿美子の凛とした姿は感動的でさえある。

 

原作は山本有三の小説だということだが、もうほとんど誰にも読まれない作家になってしまった気がする。

 

最も有名な「真実一路」を読み返してみようかとも思うのだが、失望したら怖いのでやめておいたほうがいいかもしれない。

 

日活の青春映画を数多く手がけた西河克己が監督をしたが、木下恵介か成瀬巳喜男が監督だったら、とふと思った。

 

文芸作品らしい、深みのある映画になった気はするけれども、この作品も立派な傑作と呼ばれる価値はある。

 

その理由は、西河克己監督の「しあわせはどこに」(1956年)を観れば納得するだろう。

 

西河克己監督は、もともとは文芸作品に向いている人なのだ。それなのに、時代の要請から、エンターテインメントの高い青春映画を多く撮ったのだと思う。

 

西河克己監督に、思う存分、芸術性を追求した作品を撮らせたかったと、惜しい気がしてならない。

 

ともあれ、映画「生きとし生けるもの」も、私の隠れ名作リストに加えたいと思う。