デビュー作「お魚」に、金子みすゞの末恐ろしい才能を感じる理由

金子みすゞの「お魚(さかな)」というをご紹介します。

 

お魚

 

海の魚はかわいそう。

お米は人につくられる、

牛は牧場でかわれてる、

こいもお池でふをもらう。

 

けれども海のお魚は

なんにも世話にならないし

いたずら一つしないのに

こうしてわたしに食べられる。

ほんとに魚はかわいそう。

 

金子みすゞは、山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)に生まれました。

 

仙崎は海に近い町。金子みすゞは漁師町で育ったために、みすゞの詩には、ひんぱんに海や魚が登場するのです。

 

「お魚」は「金子みすゞの実質的デビュー作と言える」と、松本侑子氏は「100分de名著 金子みすゞ詩集」の中で書いておられます。

 

デビュー作と言われますと、確かに「お魚」は、実に素朴な詩ですね。幼い子供が素直に感じたことをつぶやいた、という感じがします。

 

ただ、素直すぎて、詩としては未熟ではないかと、一方で思い始めた瞬間、「いやいや、ここに金子みすゞの凄さがある」と思い直したのでした。

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映画「美しい十代」に流れる哀愁の調べに…

1964年には、東京オリンピックが開催されました。

 

日本の高度経済成長の象徴として語られる、東京オリンピックが開催された年には、どんな映画が公開されていたのでしょうか。

 

あなたは、それを知りたいとは思いませんか?

 

閉塞感が強く、毎日が息苦しい、2022年に生きる私たちにとって、1964年はどんな意味を持つのか。

 

今日ご紹介する映画は、まさに1964年に公開された「美しい十代」です。

 

 

以下は、ウィキペディアからの転載。

 

『美しい十代』(うつくしいじゅうだい)は1964年の日本の青春映画であり、同名の歌を主題歌として作られた歌謡ドラマ。みなし子の竹内ミカとやくざの幹部を目指す津村純との恋を描く。

 

吉村廉監督の作品で、出演は西尾三枝子、浜田光夫、三田明、市川好郎など。

 

主題歌:「美しい十代」(歌:三田明、作詞:宮川哲夫、作曲:吉田正)
「湖畔の丘」(歌:三田明、作詞:東次郎、作曲:吉田正)
「みんな名もなく貧しいけれど」(歌:三田明、作詞:宮川哲夫、作曲:吉田正)

 

映画の本編はアマゾンプライムで視聴できます。

 

私があえてここで強調したいのは、映画本編中で歌われる楽曲です。

 

暗い。とても、夢と希望に満ち溢れる時代の音楽とは思えません。

 

何とも知れない、深い哀愁が底流にながれているのです。

 

実は、1960年代の映画は、暗い作品が多いのです。何しろ、悲惨な戦争が終わって、20年も経っていないのですからね。

 

ただ、未来への希望を目指して、登場人物はひたむきに生きていることは確かです。

 

商業映画の全盛時代に大量生産された、娯楽青春映画じゃなにか、と全否定する気には、到底なれません。

 

それにしても、吉田正が作曲した楽曲が、心に沁みます。この哀愁こそが、日本人の日本人らしさなのかもしれません。

 

 

八木重吉の詩「うつくしいもの」

八木重吉の「うつくしいもの」というをご紹介します。

 

うつくしいもの

 

わたしみづからのなかでもいい

わたしの外の せかいでも いい

どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか

それが 敵であつても かまわない

及びがたくても よい

ただ 在るといふことが 分りさへすれば、

ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ

 

最近、このブログでは、金子みすゞと、まど・みちおについて書くことが多いのですが、以前は、八木重吉にはまっていたのです。

 

100枚くらいの「八木重吉論」まで書いたくらいに、二十代の頃は、どっぷり八木重吉の世界に浸っていたのでした。

 

今回取り上げています「うつくしいもの」は、「重吉節」と呼びたいくらい、八木重吉らしい詩です。

 

この詩での主張は「美への希求」のみ。通常ですと、ストレートに自分が美をもとめていると書いても、詩にならないか、読者にとって魅力あるものにはなりません。

 

しかし、八木重吉が書くと、思わず、身動きできなくなるほどに、詩の世界に没入してしまいます。

 

なぜか?

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