日本の詩の中から、元気が出る、勇気がもらえる名作だけを厳選してみました。励ましがほしい時、勇気をもらいたい時は、以下の詩をお読みください。きっと、明日も頑張ろうと思えるはずです。
日本の詩の中から、元気が出る、勇気がもらえる名作だけを厳選してみました。励ましがほしい時、勇気をもらいたい時は、以下の詩をお読みください。きっと、明日も頑張ろうと思えるはずです。
金子みすゞの「鯨法会(くじらほうえ)」という詩をご紹介します。
鯨法会
鯨法会は春のくれ、
海に飛魚とれるころ。
浜のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面をわたるとき、
村の漁師が羽織り着て、
浜のお寺へいそぐとき、
沖で鯨の子がひとり、
その鳴る鐘をききながら、
死んだ父さま、母さまを、
こいし、こいしと泣いてます。
海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら。
まずは、鯨法会(くじらほうえ)とは何か、についてお伝えします。
鯨法会とは、鯨漁が盛んだった地域で行われていた伝統的な行事です。鯨への感謝の気持ちを捧げ、慰霊する法要で、金子みすゞの故郷では今もなお行われています。
金子みすゞが生まれたのは、山口県大津郡仙崎(せんざき)村(現・長門市仙崎)。仙崎(せんざき)は山口県長門市の一地域で旧・大津郡仙崎町一帯を指します。
このあたりは昔、鯨漁(捕鯨漁)で賑わっていたのです。江戸時代から明治の終わり頃まで続けられていたそうです。
金子みすゞは1903年(明治36年)に生まれ、1930年(昭和5年)まで生きた人。みすゞの生まれ育ったまちは、漁師町でそこでは鯨漁が盛んで、「鯨法会」というお祭りが行われていた、このことは「鯨法会」という詩を理解する上での予備知識として持っておいた方がいいでしょう。
もう一つこの「鯨法会」という詩の予備知識として必要なのは「鯨墓(くじらばか)」です。
「鯨墓」は、金子みすゞの郷里である、山口県長門市にあります。捕った鯨の胎内に胎児がいた場合にそれを葬るもので、この墓には70数頭が眠ってるとのこと。
墓碑には「生きるためにやむを得ず命を奪ってしまったがどうか成仏してほしい」という文字が刻まれています。
現在、金子みすゞが生まれた仙崎には「鯨母子の像」が建てられています。
金子みすゞの詩「鯨法会」には親鯨の死を嘆く子どもの鯨が出てきますが、「鯨墓」と「鯨母子の像」のことを想いうかべると、理解しやすいと思います。
この金子みすゞの詩「鯨法会」を読んで、ハッと気づいたことがありました。
この日本という国に、金子みすゞが生まれて、素晴らし詩を書いてくれたことに、「ありがとう」とお礼を言いたい気持ちです。
金子みすゞは、いま最も人気の高い詩人の一人です。
インターネットの検索数を調べると、1位が中原中也で、たぶん2位が金子みすゞではないでしょうか。
人気度だけで、詩人を評価したいとは思いません。ただ、現代人がいま最も求めていることを表現している詩人の中に、金子みすゞが入っていることは間違いありません。
では、金子みすゞが多くの日本人に愛される理由について、考えてみましょう。
「利他愛」を感じさせてくれる詩人だから、金子みすゞは多くの人に愛読されている、と私が言ったら、あなたはどのように反応しますか。
自己愛の反対語が利他愛。
すべての人間は利己的な面を持っています。文学者の夏目漱石は人間のエゴイズム(利己主義)を、小説「こころ」で追求しました。
現代人は「今だけ、金だけ、自分だけ」の生き方しかできなくなっているとは、よく言われることです。
「今だけ、金だけ、自分だけ」とは「刹那的で、お金しか信じられないで、自分のことだけで精いっぱい」という意味でしょう。この感覚は、もはや価値観でも生き方でもなく、「病い」であり、現代社会にまんえんする「心の貧困化」を示しているとも言えそうです。
そうした味気ない生活を強いられている現代人の心に、潤いを与えてくれるのが、金子みすゞの詩だと思われます。
「今のことだけにあくせくしていたら寂しすぎる。お金以外に大切なものがあるし、自分のことだけ考えてるんじゃなくて、他人を思いやる気持ちを持つと人生はずっと豊かになるんだよ」と面と向かってお説教されたら逆切れするかもしれませんが、金子みすゞの詩なら、素直に受け止める人が多いのではないでしょうか。
金子みすゞに劣らない人気詩人がいます。それが、中原中也です。
日本近代詩人の中で人気ナンバーワンは中原中也でしょう。この人は、自己愛が強すぎるというか、自己欺瞞を許せない。利他の精神を詩で表出することはほぼありませんでした。
自分自身をとことん疑ってかかるという近代文学者の苦悩を、宿命的に背負っていたのだと思います。
中原中也の詩は、自己矛盾に苦しんだ者の切実な告白という要素が強烈であり、中原の詩から「利他愛」を感じ取れる人は、少ないでしょう。
もちろん、中原も他者を愛する気持ちは人一倍強かったに違いありません。
しかし、自己との葛藤にあえぎ続け、他者への愛を静かに表現する、心の余裕はなかったのです。
中也の魂の欲求は、あまりにも激しく、性急すぎた。
中原中也を自己中心的な人物だと批判したいのではありません。これは資質の問題だと私は思っています。
中原中也が単なる利己主義者であるなら、これほどまでに時代を超えて多くの人々に、愛され続けているはずがありません。
ただ、中原中也の詩を読んでいると、辛くなることが多く、安寧が得られることはほぼありません。
なぜか?
中原中也も「愛と苦悩の人」なのですが、苦悩が大きすぎるのです。
「詩心回帰」の中で私は「外なる世界と内なる世界をつなげて合一させる」という意味のことを書いています。
そうしないと、豊かな未来の創造は難しいと私は訴えているのです。
社会・政治問題(外なる世界/眼に見える世界)と、個人・心の問題(内なる世界/眼に見えない世界)をつなげるのを基本としているのが、私が提唱する「まどか学」なのです。
中原中也の眼はあまりにも「内なる世界」に向けられすぎていました。ですから、中原の詩に社会性がないのは当然なのです。
小林秀雄は中原中也の詩の特徴として「叙事性の欠如」を指摘しています。
自分の内面ばかり見つめて葛藤し苦悩していれば、叙事性を失うのは当然です。
もう一人の「愛と苦悩の詩人」である、宮沢賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と『農民芸術概論概要』で書いています。
「世界がぜんたい幸福」は「世界全体が幸福に」という意味ですね。
この有名な宮沢賢治の言葉から「利他愛」を連想する人は、多いのではないでしょうか。
さらに有名な詩「雨ニモマケズ」では、他者のために生きたいと願う、利他の精神がつづられているともとれます。
不思議なのは、私は私自身が詩作にのめりこんでいた二十代の頃は、この「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という宮沢賢治の言葉には欺瞞があるのではないか、と否定的にとられていたのです。
なぜ、素直に受け入れられなかったのか。
人は誰もがエゴイストであり、極限状況では、自分の命を守ることが精いっぱいで、他者を殺してでも自分が生き延びようとするだろう。だから、宮沢賢治の言葉はきれいごとではないか、と当時の私は思い込んでいたのでしょう。
ところが、世の辛酸をなめつつ歳を重ねてきた今現在は、逆に宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉が、自己愛か利他愛かという次元から発していないことに、異なる視点から「個人」と「世界全体」を対比させたことに、ようやく気づき、なるほどと納得するようになってきているのです。
そもそも「愛」は「利己」と「利他」の2つにだけ分けて考えるものではありません。異なる次元の「大きな愛」もあります。実は、この「大きな愛」こそが私たち現代人には必要なのではないでしょうか。
宮沢賢治の先ほどの言葉が書かれた『農民芸術概論概要』を、もう少し長く引用してみましょう。