「すべからく」を「おしなべて」や「すべて」の意味で使っていませんか?

すべからく」という言葉も、間違えやすい日本語のひとつ。

 

「すべからくは」は「ぜひともしなければならない」「 当然……すべきであるという意味の言葉。

 

「学生はすべからく勉強すべし」 というふうに、最後に「べし」がくることが多い。

 

誤用の代表的な例としては「すべからく」を「すべて」「総じて」という意味で使ってしまうことがあげられます。

 

例えば、以下の使い方は明らかな誤用です。

 

「すべからく」を「すべて」の意味で使っている誤用例

 

「参加ランナーはすべからく完走した」

 

「石油ショックの時、スーパーマーケットに来た客たちは、店のとトイレットペーパーをすべからく買い込んだ」

 

 

この間違いは「すべからく」が「すべて」と発音が似ていることから起きるのでしょう。

また「すべからく」が「おしなべて」の代用として誤用されることも多い。

 

「おしなべて」の本来の意味は「全部がそうとは言い切れないが、大体の傾向として」という 意味 。

 

以下のような使い方は、明らかに誤用なので、注意が必要です。

 

「すべからく」を「おしなべて」の意味で使った誤用例

 

「日本の大学生の学力は、すべからく下降傾向にある」

 

 

「すべからく」については、以前にも取り上げたことがありますので、ぜひお読みください。

 

「すべからく」の使い方には要注意。

 

その他の間違いやすい日本語はこちらへ

三島有紀子監督の映画「しあわせのパン」を見た感想

しあわせのパン。三島有紀子監督の映画を初めて見ました。2012年という実に新しい映画なのですね。

 

まるで絵本を見ているような映画、というか、絵本を実写版で撮影した映画というふうに感じたのでした。

 

この映画、良いですよ。こういう作風もあってほしいし、貴重価値があるのではないでしょうか。

 

かなり前ですが、岩井俊二監督の映画「Love Letter」を見た時、少女マンガを実写版にした映画みたいだと感じたことを思いだしました。

 

「しあわせのパン」は「シネマ絵本」「メルヘン映画」とでも呼びたくなる独特の雰囲気をかもし出しています。

 

ラストに流れる主題歌、矢野顕子 with 忌野清志郎の「ひとつだけ」だけは良いですね。

 

この曲を聴きながら、センス良いなぁ~と思いました。

 

主演は癒し系女優の原田知世ですが、ハマリ役でしたね。相手役の大泉洋も作風とよくマッチングしていました。

 

舞台となったパン屋さんは実在するそうですが、絵本タッチで描かれているので、実在する、しないのリアリティは関係ないでしょうね。

 

映像の色調、パンの色と形、小道具、衣装、音楽にいたるまで、こだわってデザイニングされており、これらのアートワークが、この映画の中心となっています。

 

「映像デザインに凝り過ぎているのでは?」と見ながら何度か感じましたが、これほどまでにアートワークしなくても良く、アートはもっともっとシンプルであるべきだった気がしました。

 

パンもいろんな種類のものが、これでもかとばかりに多数登場しますが、もっと絞った方が、映画の深い部分に入ってゆきやすい思いましたね。

 

綺麗である映画よりも、シンプルで深い方が、この貴重な絵本タッチが、さらに効果を上げると感じたのは私だけでしょうか。

 

装飾的な部分を削ってゆき、映画の長さも30分ほど短縮すれば、もっとピュアな映画として繰り返し鑑賞できると感じた、実に惜しい映画でした。

 

アートワークへのこだわりに比べ、エピソードの描き方、セリフ回しなどに稚拙なところが見られ、全体のバランスが悪くなっています。

 

作風は良く、それだけでも貴重だけれど、物語そのものはそれほど面白くありません。

 

要するに、詩人が自分の言葉に酔うように、映像に酔っているようなところがあるのが、映画作品として残念なのです。

 

三島有紀子という人は実にセンスの良い人なので、そのセンスに酔うのではなくて、耽美的になるのではなく、ストイックでシンプルな方向に進んでくれるとありがたいですね。

破天荒(はてんこう)という言葉を誤用してしまう2つの理由

破天荒」は「はてんこう」と読みます。この言葉の誤用率は極めて高いらしい。

 

文化庁が平成20年度に実施した「国語に関する世論調査」によれば、64.2%の日本人が「豪快で大胆な様子」という意味だと誤解しているか、誤用していたというから驚きです。

 

「破天荒」は、これまでに誰も成しえていない偉業を達成することを意味する故事成語です。

 

例えば、以下のように使うのが正しい。

 

 

彼は勇敢にも、世界六大陸にあるすべての最高峰を登頂するという破天荒な試みに挑んだ。

 

 

なぜ、誤解や誤用が起きてしますのでしょうか? そこには、2つの理由があるようです。

 

1)「破」「荒」という言葉のイメージから判断

 

天候が荒れる、生活が荒む、約束が破られる、紙が破れる、などなど……確かに、「破」と「荒」という言葉には常軌を逸した、あるいは、乱れたイメージがあるので、違った意味で「破天荒」という言葉を使ってしまうのでしょう。

 

例えば、「彼はふだんはおとなしいが、酒を飲むと、破天荒になって暴れる時がある」というふうに誤用されてしまうのです。

 

2)「破天荒」の言葉の由来を知らないため

 

「破天荒」は故事成語なので、その由来を知っていれば使い方を間違える危険性はなくなります。

 

「荒」は原始のままの状態を指し、「天荒」は未開の状態を意味するのです。

 

「破天荒」という言葉は、以下のエピソードから生まれました。

 

かつて中国では「科挙」と呼ばれる試験で人材を選んでいたのですが、これが非常に難しく、荊州(けいしゅう)では誰でも合格できなかった。そこで人々は荊州を馬鹿にして「天荒」と呼んだのです。

 

ところが、荊州出身の劉蛻(りゅうぜい)という人物が科挙に合格した。ついに荊州から科挙合格者が出たということで、地元は大騒ぎ。劉税は「天荒を破った者」として賞賛された。

 

この逸話から、誰もできなかったことを成し遂げた時に「破天荒」というようになったのです。

 

この由来を知れば「破天荒」をマイナスイメージで使うことはなくなりますよね。

 

ちなみに「破天荒」の同義語に「前代未聞」や「未曾有」があります。「破天荒」はこれらの同義語よりも、世間が驚いた様子を強く劇的に言い表す時に用いられるといわれています。