「GHQ焚書図書開封 3 戦場の生死と「銃後」の心」を美しい日本語の作品に追加

もちろん、日本の歴史を見直すために、西尾幹二氏の「GHQ焚書図書開封」を読んでいます。またそれと同時に、私自身の、そして日本人の「心のふるさと」を見つけるために、熟読しているのです。

 

中でも「GHQ焚書図書開封3 戦場の生死と銃後の心」は、西尾氏自身もおっしゃっていますが、文学として優れている文書が選ばれており、日本人の心の原点が美しい日本語で素直に表現されていて、極めて貴重だと言えます。

 

そのため、この第3巻、GHQ焚書図書開封 3 戦場の生死と「銃後」の心を、当ブログ「美しい言葉」が独自視点から推奨している「美しい日本語で書かれた作品」に追加いたしました。

 

GHQ焚書図書開封

 

「GHQ焚書」の意味を知りたい方はこちらの記事をお読みください

 

以下、「GHQ焚書図書開封 3 戦場の生死と「銃後」の心」の感想を記しておきます。

 

大東亜戦争(太平洋戦争)中の兵隊さんの手記と申し上げればわかりやすいでしょう。

 

文学者が戦後書いた小説とは違って、装飾や虚飾がないことが特徴。美化されてもいないし、余計な概念や説明が書かれていないので、素直に戦争中の日本人の心に触れることができます。

 

本来、文学作品として書かれた文章でないことが、後に出版されてきた幾多の文学作品以上の文学的価値を獲得できた要因の一つだと言えるでしょう。

 

「GHQ焚書図書開封 3 戦場の生死と「銃後」の心」を読みますと、日本人は戦時中、中国大陸で残虐非道の行為を行った悪い民族だという自虐史観がいかに偏ったものであるかが納得できます。

 

ただ、この「GHQ焚書図書開封 3 戦場の生死と「銃後」の心」には間違った歴史観を正す力もありますが、それ以上に、日本人の「心のふるさと」を見つけるために、非常に貴重な書籍であると私は強く感じております。

西尾幹二「GHQ焚書図書開封」を読み始めた理由

来年、2017年の私のテーマは「心のふるさとを探す旅」を続けることに決定しました。

 

ふるさとという言葉にはいろんな意味があります。生まれ故郷という意味をありますが、私のいう「ふるさと」は「心のふるさ」となのです。

 

私にとって「心のふるさと」とは、本当の自分が見える場所、あるがままにそのままにいられる場所、自分自身の原点がある場所、心が芯から癒される場所などを意味します。

 

私自身、「心のふるさと」が見えなくなり、不安感にいたたまれなくなることがあるのです。

 

では、どうしたら「心のふるさと」は見つかるのでしょうか。

 

いろいろある中で大事だと思っていることに、歴史の学習があります。

 

大東亜戦争(太平洋戦争)前後の歴史を、もう一度、しっかり見直さないと、日本人の根っ子が確認できないと、最近になって痛感しているのです。

 

詩をはじめとする名作文学を読むだけでは、日本人の心のふるさとは見えてきません。やはり、歴史を正しく学ぶ必要があるのです。

 

YouTubeで西尾氏の動画を見て、この「GHQ焚書図書開封」の存在を知りました。

 

その意味から読み始めたのが、西尾幹二の「GHQ焚書図書開封」。

 

GHQ焚書図書開封1

 

1945年の敗戦から、約7年間、日本はアメリカの統治下にありました。自由な言論は封鎖され、検閲だけでなく、歴史関連を書物などが焚書されました。

 

焚書の数は、7100冊にも及んだと言われています。そのうちの1000冊を「チャンネル桜」が現在所蔵しており、それらを西尾氏が丹念に解説しているのです。

 

アメリカは、日本人の精神の根を消し去り、自分たちに都合の良い、従順な日本人を作り上げようとしたのでした。

 

連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program、略称:WGIP)」に代表されるように、アメリカは徹底して「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための洗脳政策」を行ったのです。

 

要するに、アメリカの日本占領政策に都合の悪い文章はことごとく消されてしまったということ。

 

西尾幹二が書いた「GHQ焚書図書開封」は、それらの焚書図書を精細に解説するという労作に他なりません。

 

戦後の民主主義、戦争のない平和な国、経済的な反映は、実は、日本人の根幹となる精神を根こそぎ消された上に築かれたのです。

 

現代に生きる日本人の心が空洞化するのは当然でしょう。なぜなら、戦後、洗脳政策によって、心の根っ子を抜かれてしまったから。

 

その根っ子を復元してみせようと、西尾氏はライフワークのように、焚書図書の開封と解説という行為を続けておられます。

 

素晴らしい試みですね。

映画「ガス燈」でイングリッド・バーグマンが迫真の演技を披露。

イングリッド・バーグマン主演の古い映画ということで、タイトルも「ガス燈」であり、てっきりラブロマンスだと思って見始めたのですが、話はどんどん違う方向に進んで行ってしまったのです。

 

予想したジャンルの映画ではなかったのですが、見終わって、期待以上に迫ってくるものがある強烈な名作だったので、感想を書かずにはおれなくなりました。

 

映画「ガス燈」は、1944年作。監督はジョージ・キューカー

 

 

ジョージ・キューカーは映画「マイ・フェア・レディ」でアカデミー監督賞とゴールデングローブ監督賞を受賞している監督です。

 

イングリッド・バーグマンは、欠点のない絶世の美女というイメージがあったのです。しかし、この映画を見て、そのイメージはものの見事に打ち砕かれました。

 

イングリッド・バーグマンの陰影に富んだ表情と身振り手振りは(それは時に極めて演劇的でありました)は、繊細かつ強烈で、演技派女優という名こそふさわしい。

 

実際にこの「ガス燈」により、アカデミー主演女優賞、ゴールデングローブ主演女優賞 (ドラマ部門)を受賞しています。

 

映画作品としても一級品で、ヒッチコックの映画はほとんど見ているつもりでしたが、こんな傑作を見落としていたのは、別の意味でうかつでした。

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