「マンガで読む名作 智恵子抄」を読んだ感想

私は文庫本ですが、何冊か高村光太郎の詩集を持っています。私が最も愛読してきた詩集の一つが高村光太郎詩集なのです。

 

高村光太郎はいろんな優れた詩をのこしておりますが、中でも「智恵子抄」は高く評価されています。

 

高村光太郎の「智恵子抄」を知らない人はまずいないでしょう。彫刻家であり、詩人でもある高村光太郎が、妻・智恵子との愛をつづった、世界的にも稀な詩集です。

 

今では、高村光太郎の「智恵子抄」は、電子書籍で、しかも無料で読むことができます。

 

高村光太郎と智恵子は、ふつうの夫婦ではなく、数奇な運命を生きたがために、光太郎の詩は特異な光を放っているのですね。

 

その意味で「智恵子抄」を深く理解するためには、光太郎と智恵子の運命について伝記的に学習しておく必要があります。

 

以下の電子書籍は、漫画なので、かなりハードルが低くなります。

 

今さら、文学を学ぶのは難しそうという方は、まずは、漫画から入ってみてはいかがでしょうか?

 

「マンガで読む名作 智恵子抄」

 

高村光太郎の詩を相当に読み込んできた私ですが、上記のマンガによって教えられたことも多々ありました。

 

特に、智恵子に関する詩が、どのタイミングで作られたのかが、よくわかり、楽しく読めたのです。

 

この「マンガで読む名作 智恵子抄」を読んでから、原作の「智恵子抄」を読むと、理解が深まるかと思います。

風花スタイル、風花シリーズについてのご説明

「風花スタイル」の風花」とは「幸運の風を呼び込み、自分らしい花を咲かせること」を意味します。

 

「風花スタイル」の詳細はこちらに⇒風花スタイル

 

風花スタイルを実践する方法を伝授する教材を「風花シリーズ」と呼びます。⇒風花シリーズ

 

●風花スタイルは3つのボリュームで構成。

3つのボリュームからなる、総合的な考え方&行動指針を「風花スタイル」と呼びます。

 

以下で、3つのボリュームについて、ご説明しましょう。

 

風花スタイル~心と体がよろこぶ、言葉ワーク。

 

1)心を整える(風花マインド)

2)豊かな表現力を養う(風花ライティング)

3)プラスの影響力で収益を得る(風花ワーク)

 

1~3に共通する大切な道具、それが「言葉」です。

 

そのため「風花スタイル」のキャッチフレーズは「心と体がよろこぶ、言葉ワークとしました。

 

⇒言葉と文章については、こちらのブログをご覧ください。

 

多くの人は、いきなり、お金を稼ごうとするので、逆に、お金を逃がしてしまうのです。

 

マインドセットと豊かな表現力は、自分を輝かせながら、揺るがぬ経済力を身につける上で、どうしても欠かせません。

 

3番目の「風花ワーク」では、ブログの育て方、Webマネタイズ(インターネットビジネス)の方法を伝授。

 

「風花スタイル」の具体的なノウハウを教材としてまとめたのが風花シリーズ教材。

映画「FOUJITA」公開前、小栗康平監督のトークショーに行ってきました。

映画「FOUJITA」が公開前から話題になっているようですね。先日、友人と早稲田松竹で行われた小栗康平監督のトークショーに行ってきました。

 

立ち見となり、1時間ほど立って聞かされる羽目に。友人との付き合いで行ったのですが、もう2度と映画監督のトークショーには行かないと思いました。

 

トークショーには行かないと決めたのは、1時間立たされ膝が痛くなったからでも、小栗康平監督の話が面白くなかったからでもありません。

 

映画は、作品を見ればすべて感じとることができるので、監督自らの説明は必要ない、そのことを確認できたからです。

 

小栗監督の話は本当につまらなかった。つまらないという意味は話に価値がないということではなく、当たり前なことを淡々とマイペースで話しておられただけだからです。

 

そういうことは映画の中に入っているので、しゃべってもらう必要は私にはありません。

 

ただ、小栗康平監督の人気の秘密は理解できました。

 

軸がブレていないこと。

 

「泥の河」でデビュー以来、一貫して信念を主張し続けている。商業主義に傾いたり、エンタメに流れたり、受け狙いに走ったりしない、希な人なのです。

 

そういう人は、現代社会には、ほとんどいないため、多くに人が心のよりどころとして「小栗ワールド」を求めているのではないでしょうか。

 

それと、小栗監督の若さには、のけぞりそうになりました。とても70歳とは見えません。

 

映画づくりに今も燃えていらっしゃることが、あの若さを保っているのだと思います。

 

小栗康平監督は、私が尊敬する数少ない映画監督の一人です。「泥の河」は特に強烈な記憶があって「小栗監督=泥の河」という図式が私の中でできあがっています。

 

20代の頃に「泥の河」を映画館で見て、体全身が痺れて動けなかったことを今でも鮮明に憶えています。映画鑑賞によって、そのような強烈な体験ができたのは、これまでに数回しかなく、私にとっての大事な宝となっているのです。

 

チャップリンの「ライムライト」、ヴィスコンティの「若者のすべて」、そして小栗康平の「泥の河」が、私の映画体験の原点となっています。

 

この三作は、すべて哀しい映画です。しかし、その哀しさの中に、これほど人間への愛おしさを純粋に表現されている作品は稀有なのですね。

 

トークショーの後、久しぶりに「泥の河」を見ました。

 

予測はしていたのですが、かつての強烈な感動は甦りませんでした。昔、体が痺れるほどの感動を得た映画は、もう二度と見ない方が良いのかもしれない、そんなことを真剣に思った次第です。

 

映画館の人いきれにうんざりしたので、映画「FOUJITA」を見に行くかは迷っています。