竹久夢二の詩「かへらぬひと」を読んだ感想

竹久夢二に「かへらぬひと」という詩があることをご存知でしょうか。

 

【動画】(朗読)竹久夢二「かへらぬひと」

 

 

かへらぬひと

 

花をたづねてゆきしまま

かへらぬひとのこひしさに

岡にのぼりて名なをよべど

幾山河(いくやまかわ)は白雲の

かなしや山彦(こだま)かへりきぬ

 

この詩に、まったく解説は必要ないでしょう。

 

竹久夢二の絵もそうですが、夢二の詩は、幻灯機で見る世界のような「淡くはかない郷愁」へといざなってくれます。

 

この淡い抒情は非常に壊れやすいデリケートなものであって、携帯電話やスマホが存在する世の中からは生まれ得ないものだと言えそうです。

 

「永遠に失われて戻り来ぬ、古き良き時代の名詩」と呼ぶべきでしょうか。時が今よりもはるかにゆっくりと流れていて、人の心にも淡い幻想を抱けるゆとりがあったのですね。

 

以下、Wikipediaから竹久夢二のプロフィールを引用しておきます。

 

 

竹久 夢二(たけひさ ゆめじ)は、1884年(明治17年)9月16日 - 1934年(昭和9年)9月1日)は、日本の画家・詩人。

 

数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれ、大正ロマンを代表する画家で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれたこともある。

 

また、児童雑誌や詩文の挿絵も描いた。文筆の分野でも、詩、歌謡、童話など創作しており、なかでも、詩『宵待草』には曲が付けられて大衆歌として受け、全国的な愛唱曲となった。

 

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伊東静雄の詩「自然に、充分自然に」を読み返した感想

伊東静雄の「自然に、充分自然に」というをご紹介。

 

【動画】(朗読)伊東静雄「自然に、充分自然に」

 

伊東静雄の詩「自然に、充分自然に」は教科書に載っていたので、忘れずに記憶しています。

 

思うに、教科書に載っていた詩はすべて憶えていて、自分の人生に微妙な影響を与えているように思えてなりません。

 

さっそく伊東静雄の「自然に、充分自然に」の全文を引用してみましょう。

 

 

自然に、充分自然に

 

草むらに子供はもがく小鳥を見つけた。
子供はのがしはしなかつた。
けれど何か瀕死に傷きずついた小鳥の方でも
はげしくその手に噛みついた。

 

子供はハツトその愛撫を裏切られて
小鳥を力まかせに投げつけた。
小鳥は奇妙につよく空(くう)を蹴り
翻り 自然にかたへの枝をえらんだ。

 

自然に? 左様 充分自然に!
――やがて子供は見たのであつた、
礫(こいし)のやうにそれが地上に落ちるのを。
そこに小鳥はらくらくと仰けにね転んだ。

 

伊東静雄の詩「自然に、充分自然に」の朗読はこちらに

 

昭和十一年『コギト』一月号に掲載され、後に『夏花』に収められました。

 

この詩を「伊東静雄」は30歳の時に書いたそうです。私は伊東静雄の生涯について学んでおりませんが、詩人としてピークの時に生み出した詩ではないかと思えるほど、「自然に、充分自然に」は高い完成度を示していますね。

 

今回読み返してみて、想像以上に短いことに少し驚きました。そして、これほどまでに映像的な詩はないのではないか、そう思ってしまうほど、鮮明に生々しいまでに映像が浮かんでくる作品です。

 

短い言葉の連なりの中に凝縮されているのは、苛烈なまでの生の真実だと感じ入りました。

 

少年と小鳥、その相反する行動……これこそが、人生そのものではないでしょうか。

 

この作品の持つ緊張感、清冽さ、厳しさ、過酷さは、純潔な魂の結晶であり、生きることの核心を照射しているように感じられてなりません。

 

自らの運命を全うしようとする生命体の惨たらしいまでの純粋さが、ここに描き出されています。

 

昔の教科書は侮れません。現在、古い詩の入門書を読み返しているのですが、昔の文学者は実に文学を深く学んでいたし、純粋に文学を愛していていたことが、読めば読むほどこちらに伝わってきます。

 

以下、現在読んでいる詩の入門書をあげておきましょう。

 

中野好夫「文学の常識」、吉田精一「文学入門」、山本健吉「こころのうた」、伊藤信吉「現代詩の鑑賞上下」。

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森淳一の映画「Laundry ランドリー」を見た感想

当ブログで取り上げる映画は、どれもこれもかなり古いのですが、今日は少し新しめの作品です。

 

珍しく2002年という21世紀の映画です。

 

それは、森淳一監督の「Laundry ランドリー」。

 

「Laundry ランドリー」を観たい人はこちらから、どうぞ

 

これは悲しいお伽噺なわけで……

 

Laundry ランドリー

 

監督・脚本は森淳一。

『GO』の窪塚洋介、TV、雑誌、CMで活躍中の小雪共演によるハートフルドラマ。
祖母の経営するコインランドリーで働く青年・テルと、不思議な女性・水絵の出会いをきっかけに、テルは新しい世界へと旅に…。

人生の居場所を見失ってしまった男女の心の交流を描いたロードムービー。

 

今回は、かなり前に書いたレビューから転載いたします。

 

(以下、転載)

 

■見るたびに、新たな発見がある映画だ。実に丁寧な作り方をしている。

じっくり感想を書いている時間がないので、ポイントをしぼって考えてみたい。

 

1)まずは、ナレーションの魅力だ。最初と主人公が号泣するシーンのナレーションの響き合いが効いていた。

「僕の名前はテル…」。リフレインの効果は絶大だ。

2)小道具の使い方。毛糸の帽子がいい。白い鳩。赤い旗。ビール瓶。バス。ガスタンク。高圧電線の鉄塔。水溜り。靴紐。銀のカップ。

3)基本に忠実な構成。起承転結の転結が、特に良かった。万引きによる暗転が効いている。

4)伏線が丁寧に張られている。例えば、「盗む」という言葉の使い方。全編の響き合いは見事。落穂拾いのように、伏線を一つ一つ拾ってゆく手法は、好感が持てた。つまり、シーンとシーンとの結びつきを非常に大切にしているのである。

5)人物造形の巧みさ。頭に障害を持つ若い男と万引き癖のある若い女、それに足長おじさんだ。この人物配置を見ても、この映画が童話的であるのがわかる。主人公の癖も巧みに使っている。鼻をこする。側頭部をたたく。

6)シンプルの音楽を活かした御伽噺的なテイストも良かった。ピュアな仕上がりになっている。全く同じ旋律の音楽のヴァリエーションを4~5種類使っていたのが効果的だった。

7)舞台設定も、田舎にこだわったのが成功している。コインランドリーという限定された場所がなければ、この映画は成立しない。

8)状況設定も練り上げられている。「もし、コインランドリーで下着が盗まれないように見張っている記憶障害をもつ男が、盗みの常習のある女と出逢ったとしたら~」。

■実に基本に忠実な映画だ。基本以外のことは何もしていない。

■まず主要なイメージ(映像)、小説ならばキーワードがあれば作品はできてしまうことを知った。次に、小道具、セリフ、キャラクターがくる。

■それと、この映画では現代のアイテムが極端に排除されている。ケータイやインターネットなどは一切出てこない。作品の純度を上げる要因となっている。

■この映画は、メルヘン、御伽噺。つまり、象徴性の強い作品ということ。

 

(転載は、ここまで)

 

かなり前に書いたレビューですが、当時は、かなり熱いタッチの書き方をしていたようですね。

 

まわりに、シナリオとか、小説を書いていた仲間が多かったので、その影響もあったのかも。

 

小雪と窪塚洋介の演技は初々しかったです。

 

そして何より、森淳一監督の才能を、感じた映画でした。

 

童話のような残酷で美しい世界を、純度高く描き切った映画空間。その哀しき世界に、理屈ぬきに、浸ってほしいと思います。