「順風満帆」は「じゅんぷうまんぽ」と読むのは間違いで「じゅんぷうまんぱん」が正しい?

順風満帆」の読み方を間違えてはいませんか?

 

順風満帆を「じゅんぷうまんぽ」と読む人が多いのです。「帆」を訓読みして「まんほ→まんぽ」と読んでしまうのでしょうけれど、ここは音読みにしなければなりません。

 

順風満帆は「じゅんぷうまんぱん」と読むのが正しいのです。

 

「順風満帆」はとは、追風を帆いっぱいに受けて、船が順調に進むこと。転じて、物事が何のトラブルもなく、スムーズに進むことのたとえとして使われるようになりました。

 

「帆」を「はん(ぱん)」と読む例としては、他には「帆船」「帆布」「出帆」などがあります。

「物議を呼ぶ」は間違いで「物議を醸す」が正しい?

「世間の人々の論議を引き起こすこと」をあらわすのに「物議を呼ぶぶつぎをよぶ)」が正しいか、それとも「物議を醸すぶつぎをかもす)」が正しいか?

 

正解は「物議を醸す」です。

 

「物議を呼ぶ」は「論議を呼ぶ」との混同であり、間違いです。「物議」と「醸す」はセットだと思って「物議を醸す」と覚えてください。

 

「醸す」とは、米や大豆に麹(こうじ)を加えて発酵させ、酒や醤油などを醸造することを指します。それが転じて、ある状態や雰囲気などを作り出すという意味に使うようになったのです。

 

また「物議を醸し出す」と使われることもありますが、正しくは「物議を醸す」なのでご注意ください。

 

「醸し出す」という表現は「物議」のようなおどろおどろしいものに使うのは似つかわしくありません。やんわりとした雰囲気のようなものに「醸し出す」は似合うのです。

高村光太郎の詩「冬が来る」

最近、詩について語ることが増えています。その理由は「言葉に目覚めてほしい」からです。

 

言葉に目覚めないかぎり、言葉による自在な表現は不可能です。したがって、豊かな表現をするには、詩を読むことで「言葉に目覚める」ことから始めるべきだと思うようになりました。

 

ここでこんな声が聞こえてきそうです。

 

詩といわれても、どの詩人のどんな詩集を読んだらいいのか?

 

自分の可能性を伸ばしつつ、自分の言葉によって豊かな表現を目指す人たちに私がオススメしたいのは「高村光太郎詩集」です。

 

智恵子抄」から入っても良いのですが、この詩集だけですと、高村光太郎という人の一面しか見えてきません。「智恵子抄」以外にも優れた詩がたくさんあるので、それらも知っていただきたいのです。

 

私はこれまでに出版された高村光太郎詩集はすべて持っていますが、まだ一冊も買ったことがないという人には、新潮文庫がオススメです。

 

高村光太郎詩集(新潮文庫)

 

私が高村光太郎の詩を推奨する理由は、高村光太郎は常に前向きに生きた人であり、人生肯定を貫いた愛の詩人だからです。

 

高村光太郎は、決して天才でも、完璧な人間でもありません。むしろ、弱さの塊と呼んで良いくらいの人です。ひたむきに人間らしい生き方を求め続けた、その愚直さにおいて非凡だった人だと私は評価しています。

 

極めて人間くさい、ロマンチストである高村光太郎の詩に親しむと、自分の言葉で語ることの本質を身近に感じることができるでしょう。

 

今年から始める寺子屋でも、高村光太郎の詩の詩については語りたいと思っています。

 

最後に高村光太郎らしい詩をひとつ、ご紹介しましょう。「冬が来る」という作品です。詩集「道程」に収録されております。

 

冬が来る

 

冬が来る
寒い、鋭い、強い、透明な冬が来る

ほら、又ろろろんとひびいた

連発銃の音
泣いても泣いても張がある
つめたい夜明けの霜のこころ

 

不思議な生をつくづくと考へれば
ふと角兵衛が逆立ちをする

私達の愛を愛といつてしまふのは止さう

も少し修道的で、も少し自由だ

冬が来る、冬が来る
魂をとどろかして、あの強い、鋭い、力の権化の冬が来る

 

当ブログにて、高村光太郎の詩を何編か取り上げております。

 

高村光太郎のその他の詩は、こちらから、どうぞ