新藤兼人の映画「縮図」を見た感想

新藤兼人監督の映画について語ってゆこうと思っているのですが、新藤映画のアンソロジーDVDを購入し、それを見てご紹介することにしました。

 

昨日鑑賞したのが「縮図」です。

 

前回ご紹介したのが「原爆の子」でしたよね⇒新藤兼人の「原爆の子」レビュー

 

前作があまりにも感動的であったので、私としては、少し戸惑いました。

 

おそらくは、新藤監督としては、この「縮図」を撮った理由は、取り上げずにはおれないテーマがあり、それを表現したかったためだと思われます。

 

映画作品としては、成功とまではいっていないと感じたのですが、新藤監督はこのテーマをどうしても扱いたかったのだなと思えば、それはそれで納得がいきます。

 

そのテーマとは「人身売買」です。

 

「原爆の子」とテーマは変わりましたが、表現手法は似ています。

 

貧困にあえぐ生活環境の中で、人間はどう生きるのか、また、どのように生きるべきなのか、そういうことを、お説教臭く語るのではなく、モノクロームの美しい映像でもって、静かに伝えているところに好感が持てます。

 

また、そいういう抑制の効いた表現が、作品としての寿命を長くしているのではないでしょうか。

美しい日本語で書かれた良書をまとめてみました。

読書の楽しみを知りたい、これから本格的に読書をしたい、読書を習慣にしたいと願っている人にオススメしたい良書をご紹介。

 

エッセイ、小説、詩、それぞれ3冊ずつ挙げてみました。

 

いずれの作品も、美しい日本語で書かれています。

 

以前、このページで、ご紹介した本はこちらに移動しました⇒文章表現力を豊かにしてくれる本のまとめ

「金の草鞋」を「きんのわらじ」と読むのは間違いで「かねのわらじ」が正しい?

「金の草鞋で尋ねる」という言葉を今も日常で使っている人はいるでしょうか?

 

「年上の女房は金の草鞋で探しても持て」とか「一歳年上の嫁さんは金の草鞋を履いてでも探せ」というふうに使われるのは、聞いたことがあるかと思います。

 

私ももちろん聞いたことがありますが、「金の草鞋」のことを、その人は「きんのわらじ」と言っていました。

 

金の草鞋」を「きんのわらじ」と読むのは間違いで「かねのわらじ」が正しいのです。

 

「金の草鞋で尋ねる」とは、根気よく、あちこち探し回るという意味。「金」は「鉄」の意味で、「黄金」のことではありません。

 

いくら歩いても擦り切れることのない鉄製の草鞋を履いて探し回ることから、根気強く探すことを意味するようになりました。

 

ほうぼうを尋ね歩くためには、すり減ることのない「金属製のわらじ」が必要となるというわけです。

 

年上の女房は、金の草鞋を履いてでも探せ」という言葉の意味は以下のとおり。

 

年上の嫁さん(一歳上がベストとも)は、亭主よりも人生経験が豊富な分、なにかと頼りになるというわけ。

 

その他の間違いやすい日本語はこちらへ