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偉大なる喜劇王であり、映画監督であったチャールズ・チャップリンは「人生に必要なものとは、勇気と想像力、そして、いくらかのお金だ」と言っております。
実に有名な言葉なので、知っておられる人も多いでしょう。
ずいぶんチャンプリンの言葉には励まされてきましたし、今もなお、上の言葉は時どき思い出すのです。
チャップリンは「笑いのない一日。それは無駄な一日である」という名言も残してしています。
この「笑い」なんですが……
最近、私が強く感じるのは「笑顔の大切さ」です。
仏教の教本「雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)」に「無財の七施(しちせ)」があります。仏教の慈悲を、極めて簡潔に表現していて、私のように信仰心を持たない人間にも、温かく響くのですね。
「無財の七施(しちせ)」には、和顔施(わげんせ)・愛語施(あいごせ)・慈眼施(じげんせ)・房舎施(ぼうしゃせ)・床座施(しょうざせ)・捨身施(しゃしんせ)・心慮施(しんりょせ)の七つがあります。
「和顔愛語」という言葉は、日常生活でも使いますよね。⇒「和顔愛語」についてこちら
「無財の七施(しちせ)」の中で、特に気に入っているのが「和顔施(わげんせ)」。
「顔施(げんせ)」とも呼ぶらしい。
簡単に申しますと、和やかな笑顔で人に接すること。お金とか特別な技能とかがなくても、笑顔によって、人の役に立てるというわけです。
「顔施(げんせ)」という言葉を始めて知ったのは、扇谷正造の名著「吉川英治氏におそわったこと」でした。
吉川英治はもともと気性の激しい人だったらしいのですが、戦後は、一変して、笑顔の人となったというのです。
おそらくは、吉川英治は、深い人生的な志向から「笑顔の人」であろうとしたのだと思います。
笑顔であろうとした吉川英治は自らの笑顔(和顔)で家族を、そして逢う人すべてを癒し、勇気づけたのでありましょう。
作家とか小説家といいますと、作品がすべてであって、私生活ではどんな顔で暮らしているかなど、大した意味はない人種のように思われます。いえ、笑顔より、哀愁のある表情の方が、作家には似合うでしょう。
芥川龍之介、森鴎外、夏目漱石、太宰治などの文豪たちは、沈鬱な表情で写真におさまっていますからね。
しかし、吉川英治、ただ一人、実に美しい笑顔が印象的なのです。その意味から、吉川英治は「和顔の人」だと私は言いたい。
吉川英治は笑顔であろうとしたと申し上げましたが、これは言うは易しでして、人に笑顔で接することは容易ではなく、ましてや人の心を和ませる笑顔を見せることは至難の業でしょう。
私が吉川英治を敬愛する理由のひとつに、彼の「笑顔」があることは間違いありません。
「笑顔が似合う作家」と言えるのは、吉川英治の他に、後にも先にも、誰もいないのではないでしょうか。
で、今回の記事のテーマ「人間に最も必要なものとは?」ですが、その答えは「笑顔」だと言い切ってしまいたい気持ちを抑えかねているのです。
偉大なる作家・ドストエフスキーは「笑顔を見れば、その人のすべてが理解できる」というふうな言葉を残しています。
よくよく考えれば、人は長い人生の中で、本当に心底から笑えることは、それほど多くはないと気づきます。それほど、良い笑顔を人に見せることは難しい。だからこそ、美しい笑顔は貴重であり、心の糧となり、人生の宝物ととなるのです。
良い笑顔で人に接すること、それができたのは「人生の達人」と呼ばれる吉川英治だからこそでしょう。
笑顔の尊さを言葉で伝えるのではなく、自らの笑顔で示したことが、何よりも素晴らしい。
「赤ん坊だけが、申し分なく気持ちのいい笑い方を心得ている……うれしそうに笑っている赤ん坊は、天国からさす一筋の光である」とドストエフスキーは「未成年」という小説で書いています。
笑顔は、苦悩多き人間にとって、希望の光なのです。