川島雄三監督の映画を続けてみているのですが、今回ご紹介するのは「幕末太陽傳(ばくまつたいようでん)」。

 

 

極めて評価の高い映画なのですが、これまで未見でした。

 

最初から最後まで、その面白さに圧倒されっぱなしだったのですが、一方で絶望的な気分になってしまったのです。

 

この映画「幕末太陽傳」について語る場合、私が体験した、この「面白くて仕方がなくて、落ち込んでしまう」という奇妙な気持ちについて書かないわけにはゆきません。

痛快喜劇「幕末太陽傳」は、異色ずくめの名作映画

 

「幕末太陽傳」(幕末太陽伝とも表記)は、1957年(昭和32年)に公開された日本映画。配給は日活。

 

監督は川島雄三。主演はフランキー堺。その他の主な出演者は、石原裕次郎小林旭、二谷英明、南田洋子左幸子、芦川いづみ。

 

実在した遊郭「相模屋」を舞台に繰り広げられるコメディー映画。主人公のモデルは、古典落語の「居残り佐平次」。映画のストーリーの中に落語の「品川心中」「三枚起請」「お見立て」などの物語が散りばめられている。

 

「幕末太陽傳」の「太陽」は、1956年公開の日活映画「太陽の季節」から流行語ともなった「太陽族」を意識していると言われています。

 

日本映画史上に残る名作と評価されていますが、異色づくめの映画です。

 

1)映画タイトルが「幕末太陽傳」と異色。時代劇なのに、現代的な「太陽」というキーワードが入っていること。

 

2)古典落語の世界(1862年の江戸に隣接する品川宿が舞台)映画化していること。4つ落語を巧みに取り入れた異色のシナリオは卓越。

 

3)当時の人気スター石原裕次郎などを脇役にすえ、喜劇役者のフランキー堺を主演に抜擢したこと。

 

4)そして、次々の事件が起きるノンストップ時代劇であること。とにかく、ストーリーが極めてテンポよく進む。そのスピード感が半端なく、快感。

 

5)主人公「居残り佐平次」のキャラクター設定が異色。極めて現代的(普遍的かつ新鮮)な型破りの人物像を、物の見事に描き切っていること。

 

規格外の映画というか、ハチャメチャな感じがするのですが、映画として極めて完成度が高い。

 

脚本、演出、カメラワーク、役者の演技力などのすべてが優れており、名作と評価されて当然の高い質を体感できます。

 

主人公である居残り佐平次が、持ち前の機転をきかせて、次々に難題を解決している様は、痛快以外の何ものでもなく、貴重な解放感を味わることができます。

 

「太陽」は閉塞した時代を破るという意味があるのだとしたら、居残り佐平治の生き方はまさに「突破の象徴」だと言えるでしょう。

 

「面白すぎて辛くなる」という奇怪な心理について

 

前置きが長くなりましたが、本題に入りたいと思います。

 

なぜ、私が「幕末太陽傳」を見て、素直に「ああ、面白かった」で済ませられなかったのか?

 

その理由は、この映画で実感(痛感)できる「芸達者ぶり」です。

 

芸の力が、半端なし。

 

「芸達者」の最たるものは、主演のフランキー堺の演技力です。フランキー堺の芸の力は、天文学的でさえありました。

 

天文学的という言葉には、現実離れしたという意味が含まれます。

 

なぜ、この映画を見て哀しいような、切ないような気持ちになったのか?

 

それは、フランキー堺が披露してくれた高水準な芸は、絶滅してまう芸だということを、その芸に酔いしれながら察知してしまうから、辛くなるのです。

 

フランキー堺という役者の経歴を詳しく知りませんが、おそらくは、さまざまな芸を体験して、ひたすら自らの芸を磨き続けた叩き上げの表現者でしょう。

 

フランキー堺は喜劇だけでなく、シリアスな反戦映画の主人公も演じています。それが名作映画「私は貝になりたい」に他なりません。

 

フランキー堺のこうした叩き上げの芸は、絶滅危惧種のようなものでありながら、尊重されず、継承されないで消滅してゆく運命にあるのです。

 

「幕末太陽傳」をリメイクすることは可能ですが、肝心要の役者の芸の力が絶望的なほど落ちているので、本作にあるパワーを期待することはできません。

 

ですから、「幕末太陽傳」を見ていると、面白くて面白くてしながないのですが、と同時に「消えてゆく風景」を眺めているような切なさを覚えるのです。

 

フランキー堺のような「芸達者」の再来は期待できないものでしょうか。

 

もう、時代が違うので、それは無理なのです。

 

フランキー堺の演技力だけではありません。

 

川島雄三の監督としての力量は、相当なものがあります。その監督力は、川島雄三の才能だけでなく、黒澤明や溝口健二に代表される日本映画の伝統のが生み出したものです。

 

そうした良き伝統を継承してゆくという姿勢は現代社会にはほとんどありません。その結果、映画王国としての日本は絶滅したのです。

 

また芸を生む根本である「人間力」が低下しているので、もう映画「幕末太陽傳」は、今後二度と出てこない「純粋に芸を楽しめる作品」だと言えるでしょう。

 

哀しいけれど、この「幕末太陽傳」にある、古き良き時代のパワーを、自分の中に取り込んで、元気になりたい、そして未来に向かってゆきたいと切に願うばかりです。