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今回ご紹介するのは、淵上毛錢ふちがみもうせん)の詩「約束」。

 

さっそく、引用してみますね。

 

約束

 

今日も
夕まで
なにごともなく
生きた
この分では
明日という日は
たしかに
約束されてゐる
いま
私は静かに待つてゐる
静かに
待つている者には
きつと
約束は果たされる

 

淵上毛錢は、誰と、どんな約束をしたのか?

 

それを説明したら、身もふたもないということになってしまうだろう。

 

答えを導き出そうとするわけではないが、「約束」という言葉の周辺に遊星のようにある、キーワードをあげてみよう。

 

今日 夕 待っている 果たされる

 

果たされることは「死」ではないだろう。

 

美なるものの成就、透明になるまで本当の自分になりきること、世界と完全調和すること、などなど……。

 

「果たしたいこと」は、読者が自由に思い描けば良い。

 

優れた表現作品は、ほぼ例外なく、結論を読者に委ねる。「約束」もまた、読者が完成させるべき詩である。

 

●当ブログ「美しい言葉」で取り上げた、淵上毛錢の詩

 

 

病床から見つめた永遠と、現代人が取り戻すべき「詩の心」

現代の目まぐるしい情報社会において、私たちはふと立ち止まって言葉の奥深さを味わう時間を失いがちです。

そんな現代人にこそ触れてほしいのが、昭和前期を駆け抜けた詩人・淵上毛錢(ふちがみ もうせん)の作品です。

本記事では、彼の遺した詩「約束」に焦点を当て、その背景にある詩人の軌跡と、作品が放つ根源的な生命のエネルギー、そして現代を生きる私たちがそこから何を感じ取るべきかについて考察します。

1. 基本データと詩人のプロフィール

 

淵上毛錢(1915〜1950)

 

熊本県水俣市出身の詩人。大正4年に生まれ、若くして上京するものの、結核性股関節炎を発症して帰郷を余儀なくされます。

 

以降、35歳でこの世を去るまでの生涯の大半を、郷里の病床で過ごすことになりました。

 

昭和22年(1947年)には『淵上毛錢詩集』を刊行。病という逃れられない苦痛と死の影に直面しながらも、その作品群は決して暗い情念に溺れることなく、森羅万象や小さきもの、弱きものに向けられた温かく優しい眼差しに満ちています。

 

詩「約束」は、毛錢の代表的なテキストの一つであり、現代においては作曲家・瑞慶覧尚子(ずけらん なおこ)氏による合唱組曲(女声・混声)の終曲として歌い継がれていることでも知られています。

 

合唱組曲の中でもこの「約束」は、ダイナミックでエネルギッシュな広がりを持つ楽曲として構成されており、毛錢の言葉の内に秘められた、生きることへの圧倒的な渇望と希望が音楽を通して表現されています。

 

2. 詩「約束」の鑑賞(分析と魅力)

淵上毛錢の詩作の最大の魅力は、自らが「死にゆく存在」であることを冷静に受け入れた上で獲得した、特有の「達観」と「透明な明るさ」にあります。

詩における「約束」とは、一般的には他者との未来に向けた契約や誓いを意味します。

しかし、明日をも知れぬ病床にあった毛錢にとっての「約束」は、日常的な約束事をはるかに超えた、世界や生命そのものとの根源的な結びつきであったと解釈できます。

肉体は四畳半の病室という極小の空間に縛り付けられていながら、彼の精神は壁を越え、野原へ、宇宙へ、そして自分が存在しなくなった後の未来へと飛翔していました。

この詩から立ち上る魅力は、絶望の淵にありながらも「生きる」という意思を放棄せず、世界に対して希望を託そうとする力強いエネルギーです。

死を目前にした人間の言葉が、生の側で生きる私たちに対して、これほどまでに力強く、かつ澄み切った響きを持つという事実そのものが、この作品の文学的な奇跡であると言えます。

3. 現代を生きる私たちが感じとるべきこと

 

現代は、あらゆる物事が効率化され、目に見える成果やスピードばかりが求められる時代です。

 

日々の忙しさに追われる中で、「詩の大切さ」を忘れてしまったという人は少なくありません。

 

しかし、淵上毛錢という「あまり知られていない、しかし偉大な魂を持った詩人」の存在は、現代の私たちが直面している精神的な貧困を鋭く突きつけます。

 

毛錢は、健康や自由、富といった、現代人が躍起になって追い求めているもののほとんどを奪われていました。

 

それでもなお、彼は言葉を紡ぐことで世界と豊かに交信し、自分自身の内面に宇宙よりも広い世界を築き上げました。

 

私たちが「約束」をはじめとする彼の詩から感じとるべきことは、「人間の内面の自由は、いかなる外的環境によっても奪うことはできない」という真理です。

 

情報やデータだけでは決して満たすことのできない心の領域に触れるための手段が「詩」であり、詩を味わうことは、自分自身や世界とのつながり(=約束)を再確認する作業に他なりません。

 

効率の対極にある「詩」をあえて読むこと。それは、自分の命の尊さや、世界に存在するささやかな美しさに気づくための時間を取り戻すことです。

 

淵上毛錢の「約束」は、物質的な豊かさの中で精神的な迷子になりかけている現代の私たちに対して、生きることへの希望と、言葉が持つ本来の力を静かに、そして力強く語りかけています。