長澤延子の「告白」というをご紹介します。

 

告白

 

真紅なバラがもえながら散ってゆく日

忘却の中から私をみつめる

冷ややかな眼差(まなざし)しを知った

夏の最中(さなか)が訪れようとしているのに

シャツの縫目をかすめて

大気の幻がひっそりと針を立てる

 

病におかされた感受性が

このバラのように散って行こうとした時
たった一巻の書物が

だまって蕾(つぼみ)をつくらせたのが

いま私の孤独の胸にしのびよる

このかすかな郷愁は何なのだろう

 

真赤なバラがもえつきて散って行く日

私の心の瞳をみつめる

大きな冷ややかな瞳を知った

青い海に沈んだ肖像の

睫毛(まつげ)の長い透明な瞳を

ひとたびかちどきをあげた闘争のみちなのに

私の歩みをとどめる

この郷愁は何なのだろう

ひとたび故郷を出た私の前を

階級は闘争をもって待ちかまえているのに

 

真赤なバラが燃えつきて散って行った日

忘却の中から私を見つめる冷ややかな眼差に

白い旗のように烈しくふるえながら

卑怯な人間になりたくないとつぶやきながら

私の心は最高の孤独をいだき

民衆の中にとびこんでゆく

 

長澤延子の詩を理解するためには、彼女のプロフィールを知ることは重要であろう。

 

長澤延子のプロフィール

 

長沢 延子(ながさわ のぶこ)は、1932年2月11日に生まれ、1949年6月1日に死去。日本の詩人。群馬県立桐生高等女学校(現・群馬県立桐生女子高等学校)卒業。姓の長沢は長澤とも表記される。

 

4歳で母と死別し、12歳で伯父の養女となる。養家は桐生の裕福なお召織屋。自分の一番最初の記憶が母親の死に顔であるという長澤延子は、幼い頃から何度か自殺未遂をした。

 

1946年(昭和21年)に自殺した原口統三の遺著『二十歳のエチュード』(1948年刊)に強く感化され、自らを「原口病」であると称した。日本青年共産同盟(青共)に加入。1949年(昭和24年)3月に女学校を卒業後、間もなく服毒自殺を遂げた。亡くなる前に詩と手記を清書した5冊のノートを親友に託していた。

 

長澤延子の「告白」が刻む、渇いた青春の残像

 

原口統三(はらぐちとうぞう)の「二十歳のエチュード」を今も書棚に置いている人は、どれくらいいるだろうか。

 

私も青春期に読んだが、二度と読み返すことはないと思っていた。

 

先ほどアマゾンで検索したら、電子書籍なら無料で読めるので、一応は注文しておいた。

 

穢れなき気負い、激しい自己否定の精神、そして爪先立って天空を見つめる澄んだ瞳は、青春期の私を惑溺させるには充分であった。

 

では、自ら「原口病」と称した長澤延子の詩「告白」はどうだろうか。

 

同じだ。否応もなしに背伸びして結論を性急に求めてしまう、青春期にありがちな病巣が見てとれる。

 

生き急ぐことが、たった一つの宿命からのように、どうして、真っ赤な血を吐くように、「真っ赤なバラ」を歌わねばならなかったのか。

 

しかし、せめて、長澤延子が青春期という熱病が冷めるまで生きられたら、と悔やむことはしまい。

 

なぜなら、長澤延子が自殺したのは1949年だが、それ以降、長生きしたとしても、長澤延子が60年代の高度経済成長期における安保闘争、70年代の白けた堕落と退廃の時代に、希望を見出せる気がしないからである。

 

長澤延子が生きた時代は、あまりにも悲惨だった

 

長澤延子が生まれた1930年(昭和7年)に起きた事件を、以下、列挙してみよう。

 

第一次上海事変勃発
(海軍陸戦隊と中国の第十九路軍が衝突。満州国独立のための陽動作戦。
爆弾を抱えて鉄条網突破を図り爆死した3人が英雄に→「肉弾三勇士」)
満州国建国
(人口3400万人。清朝最後の皇帝「溥儀(ふぎ)」を執政に迎える)
五・一五事件
(海軍将校と陸軍士官候補生の一団が犬養首相を襲ったテロ事件)
桜田門事件
(朝鮮独立運動高揚を狙った天皇暗殺計画。犯人は逮捕され死刑に)
白木屋百貨店火災
(前年新築の高層百貨店で火災。13人が墜落死。消火体制が問われる)
坂田山心中事件
(慶応大生と資産家の娘が心中。「天国に結ぶ恋」映画・主題歌がヒット)
大東京市誕生
(隣接5郡82町村合併。15区から35区。日本人12人に1人が東京市民)

 

おわかりだろうか? 要するに、戦争に向かって突き進もうとしている時代に、長澤延子は生まれ落ちたのだ。

 

わずか17年と3ヶ月の短い生涯だが、長澤延子は、戦前・戦中・戦後を生きたのである。

 

自死したのは1949年(昭和24年)。戦後4年目である。戦争は終わったが、世の中のあまりの激変、矛盾・無節操・恥辱・幻滅・混沌の時代は、詩人の無垢な魂には過酷過ぎたのではないか。

 

長澤延子の詩から感じ取るべきものは?

 

詩としての文学的な価値は望むべくもない。

 

鼻持ちならない、若さという不遜の霧を払って、こちらに迫ってくるのは、生きようという「ひたむきさ」だ。

 

ひたむきだから、死を引き寄せてしまう。死が目の前にあるから、生命は本人が肯定していなくても、いや、激しく否定していても、光を放つ。

 

私にはその光が確かに見える、蒼白い炎に似た命の揺らめきが。

 

鮮やかな光芒を描いて、素早く消え去った、穢れなき魂の残影が、今という時代を生きる私たちを突き動かさないはずはない。

 

長澤延子の詩「折り鶴」はこちらに

 

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