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映画「非行少女」は「キューポラのある街」に劣らぬ力作

映画「非行少女」をご紹介。

 

「非行少女」(ひこうしょうじょ)は、1963年に公開された日本映画。

 

監督は「キューポラのある街」で有名な浦山桐郎である。

 

名作として広く知られる「キューポラのある街」に負けない映画としてのパワーを持つのが、今回取り上げる「非行少女」だ。

 

第3回モスクワ国際映画祭に出品され、金賞を受賞しているが、受賞して当然であろう。 この記事の続きを読む

坂村真民の詩「鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ」

坂村真民の「鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ」という詩をご紹介。

 

鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ

 

鳥は飛ばねばならぬ

人は生きねばならぬ

怒濤(どとう)の海を 飛びゆく 鳥のように

混沌の世を 生きねばならぬ

鳥は本能的に 暗黒を突破すれば

光明の島に着くのを知っている

そのように人も 一寸先は闇ではなく

光であることを 知らねばならぬ

新しい年を迎えた日の朝

わたしに与えられた命題

鳥は飛ばねばならぬ

人は生きねばならぬ

 

一寸先は闇ではなく 光であることを 知らねばならぬ」は秀逸ですね。

 

坂村真民には求道的な詩が多いのですが、この詩は特にその傾向が強い。

 

仏教と農業と家族愛、このトライアングルが、坂村真民の詩を形成しているといっても過言ではないでしょう。

 

そして、坂村真民の詩のテーマは、人間愛と人生肯定です。

 

現代詩は不幸にも、人生観が希薄な思わせぶりの概念に出してしまったと私が断定しても、否定する人さえいないほど、日本人は現代詩なるものと無関係になっている気がしています。

 

それでいいのです。現代詩は無視し、本当に生きた言葉で書かれた詩だけを愛すること、この選択肢しか私たちには残されていません。

 

当ブログで坂村真民の以下の詩を取り上げております。

 

坂村真民の詩「七字のうた」

 

坂村真民の詩「あ」

 

映画「キューポラのある街」で描かれた日本は、あまりにも暗く貧しかった。

浦山桐郎という映画監督をご存じだろうか。今日取り上げる映画は浦山桐郎が監督を担当した。

 

キューポラのある街」は、吉永小百合の代表作としても有名である。1962年(昭和37年)4月8日に公開された。

 

原作は早船ちよの同名の小説である。

 

この時代の日本は実に貧しく、暗かったということに、思い知らされる。

 

貧しさへの免疫のない人は、あまりの衝撃で打ちのめされてしまわないか心配だ。

 

過酷な運命に負けてしまう人たちも少なくなかっただろうと思うのだが、主人公の中学生を演じる吉永小百合は、前向きに運命を切り開こうとする。

 

吉永小百合の健気な姿、透明な生命感がなかったら、陰惨で最後まで見られない映画になっていたかもしれない。

 

私自身、辛すぎるシーンに負けそうになり、途中で挫折しそうになった。しかし、最後まで鑑賞できたのは、映画監督の確かな手腕、前向きなストーリー、吉永小百合を含む幼い登場人物たちのはじけんばかりの生命力のおかげである。

 

この「キューポラのある街」は、数々の賞を受賞しているが、それもなるほどと頷けるだけの映画作品としての質の高さを示している。

 

今では考えられないような貧しい家庭環境が描かれており、また戦争や民族問題も含まれるだけに、若い人たちがこの「キューポラのある街」を客観的に評価することは難しいかもしれない。

 

人生肯定と人間愛の映画だ。どうか、虚心で鑑賞していただき、多くの人に語り継いでほしい作品である。